純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号179 『彼女と彼のはなしかた』 彼女は耳が聞こえませんでした。そんな彼女の日課は、家の近くの公園にある大きな大きな木の上で、足をブラブラさせながら、葉っぱの間から覗くキラキラした光の妖精たちと戯れることでした。耳は聞こえませんが、葉がサワサワと揺れると、途端に隠れる妖精たちと隠れんぼをしたり、優しく頭を撫でてくれる葉っぱに身を任せて、お昼寝をしたりと、毎日楽しく暮していました。  彼は目が見えませんでした。そんな彼の日課は、家の近くにある大きな大きな木の下で、太い幹に凭れて、木から聞こえる声に答えたり、たまに寄ってくるリスや小鳥や猫たちに、優しい声で綺麗な歌を歌ってあげることでした。目は見えませんが、暖かい木の温もりに抱かれて、お昼寝をしたり、肩や足にすり寄る動物たちと戯れたりと、毎日穏やかに暮らしていました。  ある日、彼女はお昼寝をし過ぎたことに気付いて、慌てて起きました。  その日、彼もお昼寝をし過ぎたことにも気付かず、まだ寝ていました。    彼女は下に落ちました。けれど痛くありませんでした。  彼はビックリしました。痛くて息が止まりそうでした。    彼女は誰かを下敷きにした事を知って、慌てて飛び起きて、慌てて彼に向って頭をさげました。  彼は息が出来ずに暫く悶えました。とても苦しそうに呻いたので、動物たちは慌てて逃げました。  彼女は『頭をさげたのに、まだ痛がってるわ、この人。』と思い、彼は、『こんなに痛がってるのに謝らないなんて、なんて失礼な奴だ。』と思いました。  彼女も彼も、しかめっ面のまま家に帰りました。二人とも『せっかくいい気分だったのに…』と、ご機嫌斜めでしたから、家族にとても心配されました。      次の日、彼は昨日の話を朝早くから、大きな木に愚痴っていました。そこへ彼女がやってきました。彼女は遠くから彼を見つけて『昨日の人だわ。』と少し嫌な顔をしました。けれど、自分が悪いとも思っていたので、謝ろうと思い、彼に近づいた彼女は不思議に思いました。彼は確かに起きているのに、目の前にいる彼女も見ずに何か喋っているのです。  彼は、気配で人がいることに気づき、匂いで昨日、自分の上に落下した人だと分かったので、下を向いたまま、 「謝りに来たの?」 と、声をかけました。なのに返事がありません。彼は不思議に思いました。その人の気配はまだあります。それもすぐ近くにです。彼は自分の声が小さかったのかと思い、少し大きな声で、さっきと同じ台詞を言いました。  彼女は、彼が自分の方に向いたのを見て、やっと違和感の正体が分かりました。それで、唇の読める彼女は彼の質問に答えるために、彼の手にそっとふれました。  彼は一瞬ビックリしました。急に手を握られて、しかもそれが、女性の手だと分かった彼は、その柔らかさにドキドキしました。それでも、彼女の細い指が、手の平にゆっくりと書いていく文字を懸命に追いかけました。 『そう、謝りに来たの。昨日は、本当にごめんなさい。』 ようやく彼にも違和感の正体が分かりました。そして彼女がいる方に顔を向けてゆっくりと喋りました。 「スゴイすれ違いだったね。」 それを読んだ彼女も、また彼の手の平に文字をゆっくりと綴っていきます。 『そうね。それにスゴイ偶然だわ。わたしは耳が聞こえなくて、あなたは目が見えない。こんな出会いがあるなんて思わなかったわ。』 彼女の言葉を読んだ彼は、本当にそうだと思いました。  ふと、彼女が笑う気配がしたので、彼は、 「もしかして笑ってる?」 そう聞きました。彼女はそれに答えて、 『ええ。どうして分かったの?』 と書きました。彼はまた、ゆっくり口を開いて、 「そんな気がしたんだ。」 と言いました。彼女はそれに少し関心しながら、また彼の手の平に、 『すごいね。』 と書きました。  彼女と彼のその酷くゆっくりした会話は、半時の間途切れることがありませんでした。  しばらく経ってから、彼女は時計を見ながら慌てました。もう家に帰る時間です。そのことを彼に知らせるために、彼の手の平に、 『ごめんなさい、もう帰らなきゃ。』 と書きました。彼はその瞬間なぜかさみしくなって、 「また会える?」 と彼女に聞いていました。彼女は少し慌てながら、それでもゆっくりと言葉を綴ります。 『会えるわ。わたしは、いつも。ほぼ毎日ね、この木の上でお昼寝するのよ。』 そう残して、彼女は去って行きました。彼は、ずっと握られていた手首の温もりに触れながら、『ビックリだ。毎日同じ木の上と下で、すぐ側にいたなんて。』 と思いました。彼はそのことを彼女に伝えたかったのですが、また明日会えるだろうと、思いなおしわざわざ彼女を追いかけようとはしませんでした。  彼女は小走りに家に向かいながら、嬉しそうに笑いました。  彼は暖かい夕日を浴びながら、幸せそうに微笑みました。  それから何日か、大きな大きな木の下で、彼女と彼は動物たちに囲まれながらお互いのことを話しました。 『ねぇ、動物はみんなあなたに寄ってくるの?』 「僕に寄ってくるんじゃなくて、僕の歌に寄ってくるんだよ。」 『なんかハーメルンの笛吹きみたい。』 「僕は死神でも誘拐犯でもないよ?よく言われるけどね。君は?木の上で昼寝するのはどうして? 」 『上にいるとね、葉っぱの間から光が覗くの。葉っぱが動けば光も揺れて追いかけっこをしててね、その中にいると、あぁ、今ここはわたしだけの世界なんだって、すごい贅沢なお昼寝ができるの。』 「結構ロマンチストだね。」 『あなたは違うの?』 「僕はシュールレアリスムまっしぐらだよ。」 『そんな人がここに来て小動物と戯れてるの?』 「可笑しい?」 『いいえ。可愛いけど?』 「可愛いって…」  彼女と彼は毎日色んなことを話しました。毎日の生活のこと、家族のこと、友達のこと、仕事のこと、好きなこと、初恋のこと…。話しても、話しても、まだ話したいことがたくさんありました。聞いても、聞いても、まだたくさん聞きたいことがありました。  彼女は指で想いを綴り、瞳で彼の言の葉に触れました。彼は唇で想いを綴り、手の平で彼女の言の葉に触れました。それはとても温かく心地いいひと時だったので、毎日公園から帰るとスゴク機嫌のいい彼女と彼は、家族にとても不思議がられました。  彼女と彼は毎日そこにいました。暖かい日も、寒い日も、晴れの日も、風の日も、曇りの日も、雨の日も。春が来れば日向ぼっこをし、夏が来れば涼をとり、秋が来れば落ち葉をソファーにし、冬が来れば幹にできた大きな穴に身を隠しました。    泣いて、笑って。怒って、許して。撫でて、叩いて。突き放して、引き寄せて。    彼女と彼はゆっくりお互いを知り、お互いを愛し、お互いを慈しみながら、時を重ねていきました。  おばあちゃんは耳が聞こえません。おばあちゃんの日課は、公園にある大きな大きな木の下で、おじいちゃんと一緒にお茶を飲みながら、おいしいお菓子を食べることです。  おじいちゃんは目が見えません。おじいちゃんの日課は、公園にある大きな大きな木の下で、おばあちゃんと一緒にお茶を飲みながら、おいしいお菓子を食べることです。  おばあちゃんが、おじいちゃんの手の平に文字を綴りました。 『このお菓子おいしいですか?』 おじいちゃんは、ゆっくり書かれた文字を読んでから、おばあちゃんの方を向いてゆっくり喋ります。 「あなたが作るお菓子は、いつもとてもおいしいよ。」 と答えました。おじいちゃんの唇お読んだおばあちゃんは、うれしそうにニコニコとわらいます。おじいちゃんもそれを感じて、しあわせそうにニコニコとわらいました。                                おしまい。
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