純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号164 『三毛猫のキン』  三毛猫のキンはいつも一人。朝起きるときも、ご飯を食べるときも、寝るときも、遊ぶときも。今日も一人で本を読んでいる。さっきも一人で朝ご飯を食べた。今日は日曜日。雨だから大好きな散歩にも行けない。本を読むのに飽きたから、自慢の三毛の体を毛繕いして、買い物に行って大好きなマグロを買って、こたつに入ってパクリとやった。そして寝た。やっぱり一人で。  三毛猫のキンは働いている。大きな会社で働いている。一流の会社らしい。大きなビルの21階で働いている。会社のみんなは首に立派な首輪をつけている。みんなピカリと光る鈴をつけている。キンの首輪はみすぼらしい。色があせてしまっている。鈴も壊れていて音がしない。でも三毛猫のキンはそんなことは一切気にしない。  午前の仕事が終わって、休憩室。三毛猫のキンが自慢の三毛をなめていると、会社の仲間が入ってきた。最近引っ越してきた黒ブチのブチ君である。ブチ君の自慢はその首輪。まぶしいくらいに光っている。鈴も大きい。お昼に食べたマタタビが歯の間に詰まっている。ようじをくわえながら自慢の鈴を鳴らして僕に話しかける。 『三毛猫さん、名前は何だっけ?』 失礼な奴である。同じ会社で働いているのに、まだ名前も覚えていないらしい。 『三毛猫のキンです』と少し愛想悪く言ってやった。するとブチ君、 『君はいつも一人ぼっちらしいねえ?』 余計なお世話である。こう見えてもブチ君より考えていることは高尚である。一人ぼっちだって二人ぼっちだって、ブチ君には関係のないことである。三毛猫のキンは自慢の三毛をなめながら答える。 『そうですねえ、一人ぼっちですよ』 マタタビが詰ってとれないのか、ようじをしきりに上下に動かしながら、ブチ君がいう。 『それなら、僕のお友達をあげようか?僕の鈴は大きくて立派だから、みんなが集まってくるのだよ。』 ブチ君は体をそり上げて自慢の首輪を見せつける。まぶしいくらいに光る大きな鈴が三毛猫のキンの目に映る。首輪や鈴に少しの興味もない三毛猫のキンは、やはり自慢の三毛をなめながら考える。首輪や鈴よりも、もっと魅力的なものが自分にはある。自分はこの三毛で十分。お父さんとお母さんからもらった、大切な三毛。これだけで十分である。あとは自分の力で頑張るのだ。首輪の力も、鈴の力も、ましてやブチ君の力など借りない。  そんなことを考えているうちに、ブチ君の鈴の音を聞いた大勢の猫君たちが集まってきた。皆、ブチ君の大きな鈴の音におっとりしている。 『ブチさん、いつみても立派なお鈴ですね。おいくらしたのですか?』と会社で一番人気のメス猫シロさん。目がうっとりである。垂れた目がにやけて裂けた口と一つになりそうである。 『ブチさんの鈴は金剛石よりまぶしいのですよ。私、もう目を開けていられない。』と厚化粧で有名なつや子さん。  マタタビのようじはいつしかタバコにかわっていて、自慢げなブチ君。春物の新作首輪について語り始め、休憩室を大勢の猫君たちと一緒になって出ていった。三毛猫のキンさんはまた一人、自慢の三毛をなめ続けている。廊下から、シロさんの笑い声が響いてくる。  仕事場に戻る三毛猫のキン。大きなプロジェクトが成功しつつある。世界中の一人ぼっちな子猫を助ける施設の設立である。みんなが反対したプロジェクトである。ブチ君は見向きもしない。今の時代、儲からない仕事は誰も喜ばないのである。お金にならない仕事は誰も興味がないのである。三毛猫のキンは そんなことおかまいなし。毎日一人で黙々と仕事をしている。あるとき、こんな会話があった。 『三毛猫のキンさん、もうそんな仕事やめましょうよ。お金にならないし、偉くもなれませんよ。ほら、最近話題のインターネットマタタビ。こりゃ、売れますよ。よくわかりませんが、なんでも株さえ買えば儲かるらしいですよ。時代はインターネット。難しいことはパソコンに任せておけばよいのですよ。』と後輩のクロ君。普段は口をあまりきかない三毛猫のキンがいう。『猫はねえ、独立しなけりゃならないんだよ。お金も出世も欲しけりゃ自分で何でもするがいい。ただし、人に迷惑をかけちゃいけない。自分で寝どころを見つけて、自分でご飯を食べ、自分で首輪を買う、人に頼っちゃいけない。そんなことで満足してもいけない。そんなことで満足してみろ、人間様みたいになっちまう。みてみたまえ、今の人間様を。何もかも偉い人に任せて自分は批判ばかり。偉いに頼っているからこんなことになるのだよ。猫だって同じさあ。立派な鈴つけて首輪をつけて、金儲けをして満足している猫は、人間と同じだね。猫だったら独立しなければ駄目だよ。クロ君、昔の偉大な猫を知っているかい?』  何のことを言っているのかさっぱりわからない後輩のクロ君。『猫が鈴つけてどうしていけないのですかねえ?人間様に近づけるのであれば毎日キャットフードが食べられるじゃないですか。そりゃ、昔の猫は今みたいにおいしいキャットフードも食べられませんがね』 『キャットフードの話をしているのじゃないよ。昔にも立派な猫はいたのさ。たしか明治の時代ですよ。飼い主が無精なためか、名前はないけれど、十分に当時の世の中を沸かせたらしい。人間様の発想じゃあ、ああはいかない』 『名前のない猫・・・ですかぁ。それで、どうして立派なのですか、その名無し猫さんが?』クロ君はすっきりしない様子である。 『今、我々猫たちがこうして安心した地位にいることができるのは、この名無しの猫君のおかげだよ。猫が人間界に躍進したきっかけを作ったのさ。わかるかい。つまり名無しの猫君がいなければ、我々はここに存在していない。我々はご先祖である名無しの猫君の恩恵のうえに生きている訳さ』  クロ君には明治も恩恵もよく理解できない。ただ、インターネットマタタビが頭から離れない。三毛猫のキンが明治の偉大な先祖に尊敬の意を表し、自らもこの猫の世界に一石を投じようと、一人努力していることももちろん理解できない。これから生まれてくる未来の猫たちのために文明を築き、更なる繁栄を願い、寝ることも惜しんでこのプロジェクトに取り組んでいることも、インターネットマタタビの前には全てが無駄に映る。そしてまた一人、三毛猫のキンは仕事を続ける。  田んぼ道に咲く福寿草は自分たちの存在を今とばかりに、野一面に幅を利かせている。太陽は北に偏るのが飽きたと言わんばかりに、日に日に南に近づいては福寿草との会話を楽しんでいる。そんな日曜日の午後を三毛猫のキンは散歩をしている。利根川水系の下流に位置するこの辺りの地形は、一面を関東平野が覆いのどかな風景が続く。三毛猫のキンはこの田んぼ道を散歩するのが大好きである。自慢の三毛は朝のうちにきれいにした。小さめの顔から横に飛び出す白いヒゲが今日はひときわツヤツヤしい。こんな日には自然と鼻歌が出る。音程は全く合っていない。そんなことはおかまいなしの三毛猫のキンは、自然界に存在する全ての現象と会話をしながら一人歩いている。いつもの散歩コースを抜け、猫ヶ洞の駅にたどり着くとちょうど電車が入線してきたところである。慌てることも無く、三毛猫のキンはホームに響くチャイムの音をすり抜けて地下鉄の列車に乗り込む。ドアが閉まりキンは近くの座席に腰を下ろす。平日は混雑するこの列車も日曜日の早朝は静かである。キンの乗った車両には老夫婦が一組、乗っているばかりである。  キンは目を閉じて鼻歌の続きを頭の中で追い続けている。太陽の匂いを思い出しながら福寿草との会話を続けている。福寿草が笑っている、太陽が笑っている、利根川を覗き込めば泳いでいるフナも笑っている、三毛猫のキンは水面に映る自分を眺めて、やはり自分の三毛は美しいと思う。そしてフナに視線を移すと、やはりフナはキンを見て笑っている。フナはピシャリと水面を蹴ってふざけている。勢いよく跳ねた水しぶきは水面を覗き込むキンに襲いかかり、その美しい三毛の一部を形成する白い膝を濡らした。冷たい水がキンの膝をシットリと濡らしていく。  ハッと口を閉じた三毛猫のキンは、膝まで垂れたヨダレを右手の肉球で押さえつけ周りを見渡した。駅名のアナウンスがボウとしたキンの頭を通過していく。座席は乗客で埋め尽くされている。老夫婦はどこかの駅で降りたようである。制服を着た女学生たちがドアの隅にかたまってクスクス笑っている。三毛猫のキンからはあえて目線を外している。ヨダレの動きを一部始終、観察していたらしい。三毛猫のキンは肉球をごしごし動かしてヨダレを膝に刷り込ませた。正面に座る若い猫娘の視線が自分の右手の肉球に注がれてはいないかと、ちらりとみてやると予想は全くに外れてしきりに携帯電話のボタンをいじくっている。さて右に座る盛りのついた雄猫をちらりとやれば、肉球を電話のスライドガラスに擦り付け、しきりに上下左右なで回している。もしやと左となりに座る子猫を盗み見れば、パカリと画面を開いて何やら忙しそうにこちらも肉球を動かしている。その向こうには、化粧の濃い短い足を組んで座っている猫娘がいる。三毛猫のキンは厚化粧短足猫娘の前に立つ老猫に席を譲り、三つ先の駅で下車した。  昔のキンであれば怒りがこみ上げていた。憤りを感じていた。猫社会の将来に不安を感じていた。自分が奴らと同じ猫であることを恥じた。しかし、今のキンは違う。キンは独立した猫として他猫と自分に一線を引いていた。自分は高尚で清浄潔白な猫であると、自分を信じることができた。他猫は他猫、自分は自分と考えることができた。幾万といる知識の乏しい凡庸な他猫とは比べ物にならない、高尚な自分を認識することができた。三毛猫のキンは常に独立を心がけ、未来の猫達の文明の礎になろうと本気で考えている猫である。
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