純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号123 『海へ』  パーキングエリアで買った、炭酸飲料の甘さが口の中でしつこくて、本当に夏は終わりなんだなと僕は思う。  もう季節は終わりだというのに、僕は女の子と海へでかけた。海が見えてきても尚、「行くつもりじゃなかったんだよな」などという僕に対して、彼女は少し不機嫌な色を隠せないようだった。それでもお互いそんな雰囲気に慣れているので、会話の抑揚は変わらずに僕らは海へ近づいていく。  車を適当な場所に停めて、少し歩いた。広がる海の色は鮮やかではない。小学生の図画の時間、暗い色を絵具で作ろうとして失敗したときのような色をしていた。波は穏やかで、彼方に見えるテトラポットは静寂を保っている。海が近くなると、舗装されたアスファルトの上にも砂は散っている。履き古したスニーカーの底ごしに感じる、ざらざらとした砂の感触で、僕と彼女ははしゃいだ。もう少し歩けば潮の匂いもした。僕は砂浜に降りる前に尿意を晴らしたかったので、公衆トイレへ駆け込む。汚いトイレにも立ち込めるその匂いに海のしつこさを感じた。  砂浜は様々なゴミで汚されていた。花火の紙屑一つ一つにも誰かの夏の思い出がある。彼らは風で飛ばされ波にさらわれ、いつか海の深いところへ沈んでしまう。9月の海に吹く少し冷たい風は、思い切り感傷的なことを考えさせる。僕は、僕のこうした自己陶酔が許せず、はしゃごうと、彼女のほうを振り返る。ところが彼女の表情は複雑だった。複数の感情が表情に押し出されているので、形容しがたいとろんとした顔になっていた。 「どうしたの」 なんでもないと言いたげな視線を送るのみで、彼女は風に揺れる髪を撫でつけ、俯き気味に、狭い歩幅で歩き始めた。人が何かを考えるときは、そんな歩き方になるだろう。 僕はそれに合わせて歩いていたのでは、数歩で彼女との距離が開いてしまう。ちょっと歩いてはなんとなく止まり、海を見て、ちょっと歩いてはなんとなく止まり、彼方の鳥を見て、彼女に合わせた。しばらくして彼女も立ち止まった。僕はその小さな背中を見つめる。 「夏に来たかったな」 「しょうがないよ」 「そうだね」 そして二人はまた歩き始める。僕は海を眺めるのに飽きたので、ただゆっくり歩くだけにした。 「友達といく機会があったんだ」 「うん」 「でも風邪ひいちゃってね」 「残念だったね」 「あなたにも、行こうね って言ったのに」 「そうだっけ」 彼女には感傷的な雰囲気があると思ったが、別にそこまで会話を伸ばしたくなかった。短い言葉のやりとりが続いた。言っていることははっきりと聞こえる。波が二人の言葉をかき消すなんてドラマの中だけだと思った。砂浜に座ることはできないから、僕達はひたすら歩き続けた。女の子の歩く速度がゆっくりだから、距離にしてみれば全く進まないのだが。僕はなんとなく海の水や乾いた砂に触ってみたくてうずうずした。自然な口実を考えながら、彼女との適当な会話を交わしつつ時間はゆっくり過ぎた。  僕はとある大きなゴミを見つけて、横にいる彼女の腰をつついた。 「日本の海って汚いね」 「そうだね」 「見てよ、このロケット花火は、花火のカスじゃない。使ってないまま捨てられちゃってる」 彼女はそれを拾い、導火線のあたりをちょいちょいと触った。そして、僕に手渡す。 「点けられるかもよ。点けてみてよ」 僕はポケットの中にあるライターをまさぐりつつ適当に喋る。 「ロケット花火だよ。線香花火じゃない。何か瓶や缶にいれてやらなきゃ」 「砂浜に刺しちゃえばいいのよ」 「ああ」 四十五度くらいに傾けて花火を砂に刺した。海へ向けて。僕はライターを点けて導火線に寄せる。だけど、着火する気配は一向にない。ライターの火を見ているうち、僕は口が寂しくなってきた。気が付くとほんのり立ち込めるのは火薬ではなく煙草の匂いで、僕らはまた歩き出していた。 「シケってるよな」 「やっぱね」 簡単な会話はまるで吐き出される煙のように生産性がない。  今日の天気は曇りだった。  白い空の向こうの向こうにあるような、うっすらとした太陽を眺めながら、僕は適当に昔を思い出していた。小さなころは夏に家族で必ず海に行っていた気がする。熱された砂を足裏で踏んでいくひりひりする感覚は楽しかったけど、泳げなかったから、海自体はあまり好きじゃなかった。パラソルの下で体育座りをして行き交う人達を見ていた。そこから少しだけ目線を上げるだけで、無限の広がりを持つ海が見えるのも楽しかった。海の広がりに夢とロマンじみたものを感じる人は多いと思うが、僕は安心を感じた。全てがいつかあそこへ還っていくと思うと僕はまるですべてが赦されるような安心を感じたのだ。  ゆっくりと歩いて時間も40分ほど経った。簡単な会話の話題も尽き、9月の静かな海にほだされた感傷が昂っていたから、少し長い、内省的な話をしようと思った。 「突然だけどもね、俺は夏が嫌いなんだ」 「どうして? 私はすきだよ」 「夏だからってなんでもできるような気分になる奴らが気に食わないんだ」 「夏は誰でも外向的になるし活動的になるよ」 「それが嫌なんだ。気持ち悪いんだ、腹が立つんだ」 「ひねくれてるんだね」 それきり彼女は会話を続けようとしない。また僕らは歩き始めた。少しは同調してくれると思ったので、少し恥ずかしくなった。これだから自分の話なんてするものではない。何よりひねくれ家と評されてしまったのがバツが悪かった。一般論から多少外れたぐらいで、それをひねくれ者とする彼女の世界の狭さに苛立った。僕はそういった幼稚なイメージをこの女の子に持たれたまま時間を過ごすのが我慢ならない。払拭したい気持ちが、さっきから抱いていた、寄せては返る波と戯れたいという衝動と重なった。次に二人が立ち止まったら、と思った。  そこからさらに数分が過ぎ、彼女は立ち止まり伸びをする。 「ふう。そろそろ、帰ろうか?」 「ちょっと遊んでいこうよ、せっかく来たんだから」 「足つっこんでくるの?」 僕は靴と靴下を脱ぎ、ズボンを膝までまくって、9月の海に足だけ浸かりに駆けていった。水が冷たくて気持ちがいい。自然と甲高い楽しげな声も発してしまう。 こんな無邪気な気持ちに還ったのは久しぶりだった。押し寄せる小さな波を、蹴ってやったり塞き止めたりした。そしてたまにやや大きな波が来て、結局ズボンはちょっとずつ濡れていくのだ。これには僕も彼女も大笑いした。無邪気さを彼女に見せ、ひねくれたイメージを一旦消して、一緒に遊んで欲しいと思った。 「君も来なよ!」 彼女はまるで母のように微笑みながら、「いやよ」と言った。 僕はその瞬間だけピエロのような気持ちがする。そんな気持ちを悟られないようにまた数分だけ遊び、僕は岸からあがってきた。 「砂だらけだね」 「うん。砂浜からあがってから靴下を履かなきゃ」  靴を片手に持ちながら僕らは海に背中を向けた。僕はなんとなく分かっている。夏が嫌いなのではなく、季節によって開放的で外向的になった雰囲気の中で、今一つ楽しくなれない自分が嫌いなのだと。シーズンを終えた海での散歩は、そんな僕が過ごした今年の空疎な夏を清算しているように思えた。もちろん虚しさを感じずにいられない。本当は海に行くつもりじゃなかった。今日僕は君とただのドライブをするつもりだったのさ。全てを赦してくれる大きな海は、僕がはしゃいできたあの浜辺の、もっともっともっと遠くに広がっている気がする。 (了)
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