アンコールの夕景
純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号028 『アンコールの夕景』  鞄に入れて持ち運ぶには、D60が最適で、そして必要十分だ。  父親は仕事でキヤノンのフラッグシップ機を使っていた。カ メラを買った前の日に、キヤノンのEOSにしろ、使い勝手の良い ズームレンズを貸してやるぞと言われたけど、父さんの部屋で 見つけた、僕の好きな言葉の風景の本を作った写真家がニコン を使っていたので、そこは譲ることが出来なかった。  カメラと一緒に広角の単焦点レンズも買った。オートフォー カスも出来ない物だった。たいしてアルバイトもしていなかっ たため、ほかにレンズを買うことも出来なかった。ただ、この カメラとレンズで、たくさんの風景を撮った。  大学の登下校時は常に持ち歩き、何か見つければカメラを向 けてシャッターを切る。ズームが出来ないから、代わりに自分 の足で画を決める。被写体を探す癖が付くと、今まで通り過ぎ ていた物にも目が留まるようになった。  はじめの頃は、よく道端に咲く花をアングルに入れて撮った。 それから段々と、木や石、道端にはえた茸などを撮るのが楽し くなった。私鉄の一日乗車券を使って、少し遠出して写真を撮 りに出掛けるようになった夏の頃には、一つ目標が生まれてい た。  カメラを買った四月から、なるべく使わないようにして貯め てきた三か月分のアルバイト代を注ぎ込んで、八月の夏休みの 間にカンボジアへ行くことを決めた。世界遺産であるアンコー ル遺跡を観て、カメラで撮りたかった。  カンボジアに行きたいと親に言うと、国内ではいけないのか、 暑くないのか、地雷は大丈夫なのか、と心配された。それでも、 アンコールに行きたいと譲らなかった。結局折れた父親に「そ んなレンズを使っているから融通が利かないんだなぁ」と言わ れて、親子で笑った。「生まれた時からそうでしたよ」とは、 母さんの言葉だった。  大使館に行ってカンボジアのビザを取得すると、単身リュッ クを背負って出発した。パスポート、カメラ、財布、旅の本、 替えの服、これらは自分で必要だと思い鞄に入れた。タオルに ティッシュ、日焼け止めも要るでしょと、母さんが入れた物も あって、出掛ける時には鞄は膨れていた。  タイ・バンコク空港を経由し、カンボジア・シェムリアップ へと飛ぶ。海外旅行自体は、中学生の頃、親にオーストラリア へ連れて行ってもらって以来、久しぶりだった。パスポートも、 もう少しで期限が切れるところで、更新が必要になるところだ った。  出発からカンボジアに着くまで、どうしても不安に襲われた。 単身での海外。空港の周りに居る外国人は皆明るい顔で喋って いるのに、自分だけ、どこか違う所へ連れて行かれるような錯 覚もした。  親の顔が思い浮かんだ。乗り継ぎ含めて丸一日の行程だった けど、飛行機の中では眠れなかった。  着陸したカンボジア・シェムリアップ空港は、拍子抜けする 程小さな空港だった。見て一番に岐阜の白川郷を想像した。一 本だけのくすんだ滑走路は、自動車の走る田舎道のようで、空 港というよりも道の駅のようだった。思い返せばバンコクから シェムリアップまで乗ってきた飛行機も、小さなプロペラ機だ った。世界的に有名な観光地なのに、これは面白い。つい笑っ てしまった。  空港の扉を出るとホテル行きのバスが停まっていた。慣れな い英語で簡単に挨拶をして、これからの簡単なスケジュールを 聞いた。  バスに乗る時に鞄を預けた。僕と同じホテルに向かう白人の グループが何組か居た。ガイドさんに僕も一緒に鞄を預けると 「あなたの鞄はとても小さいですね」と言われた。僕自身、日 本の空港に居る時から気付いていて、そしてその通りなので、 返す言葉も無く照れ笑いをするしかなかった。ただ、英語を聞 いて笑うことが出来たのは、中学から英語を勉強してきて、こ れが初めてのことだったかもしれない。ホテルは四つ星ホテル でとても快適だった。凄く気に入った。  朝はホテルのレストランで朝食をとった。僕のカンボジアで のスケジュールは何も決まっていなかった。ツアーガイドも頼 んでいなかった。滞在日数は三日だった。三日目の夜にはシェ ムリアップ空港に行き、日本へ帰る。何もしなければあっとい う間に過ぎてしまう。カンボジアの、この四つ星ホテルに泊ま ることが目的じゃない。シェムリアップの町を見に来たわけじ ゃない。僕は遺跡を観て、写真を撮って帰りたい。  「トゥクトゥク」と呼ばれるバイクのタクシーに乗れば遺跡 に連れて行ってくれることを、ネットや本で調べていた。トゥ クトゥクの姿も、その際写真で見て覚えていた。  トゥクトゥクは簡単に見つかった。ホテルに到着したきのう の夜は気付かなかったけど、ホテルの前に何台も停まっていた。  トゥクトゥクとは、バイクの後ろに客車を引っ張るかたちで 付けた乗り物だ。運転手は、屋根の付いた客車に腰掛け、バイ クの方へ足を投げ出して寝ていた。何台もあるトゥクトゥクの 運転手が、皆同じようにしてそうやって寝ていた。早速僕は、 首からぶら下げていたD60でその様子を撮った。異国を感じて、 つい撮りたくなった。  今撮った写真をカメラでチェックしていると、後ろから何か 声を掛けられた。振り向くと、薄い水色のポロシャツと長ズボ ンを穿いたカンボジア人の男性が立っていた。足元はサンダル で、顔は笑顔だった。  彼は「ジャパニーズ?」と僕に訊いてきた。僕は「イエス」 と答えた。すると彼はひょうきんな声で「ア、ジ、ノ、モ、 ト!」と言った。  僕は突然の言葉に驚きながら、聞き取った言葉を確認しよう と、彼に「味の素?」と訊いてみた。するとまた彼は確かに 「ア、ジ、ノ、モ、ト!」と言うのだった。この日の夜、ホテ ル近くのガソリンスタンドに併設されたコンビニへお菓子を買 いに行った時、僕は確かに「AJINOMOTO」を見つけた。 「AJINOMOTO」は世界共通語だった。  突然「ア、ジ、ノ、モ、ト!」と言って僕を驚かせた彼は、 トゥクトゥクの運転手だった。僕は旅の本を鞄から出して、行 きたい遺跡を指で差し、彼に連れて行ってもらった。  トゥクトゥクに乗り、アンコールの遺跡を巡る。僕は胸が高 鳴った。シェムリアップは赤土の道と草原と林の広がる場所だ った。トゥクトゥクは砂埃を上げながら走り、石を踏めばガタ ガタと楽しく揺れるのだった。  アンコール・ワット、アンコール・トム、バイヨン遺跡。ア ンコール・ワットは三日目も来ようと思っていたので、きょう は寺院の中までは入らなかった。アンコール・トムの南大門に 架かる道の上には、カンボジアに伝わる神話の乳海攪拌に基づ いた彫像が並んでいた。道の左側には一列になって大蛇を引っ 張る神々が、同じようにして右側には阿修羅が並んでいて、千 年続いたという綱引きを今もここで続けているかのようだった。  八つの頭を持つ大蛇の彫像は、遺跡や町のいたる所でその長 い体を伸ばしていた。バイヨン遺跡の壁画にも、乳海攪拌をは じめ、神話や過去の人々の生活が細かく描かれていた。  午後はまた別のトゥクトゥクに乗って、アンコール・ワット から東へ行った所にあるタプロム遺跡を観に行った。タプロム 遺跡は森の中にあり、遺跡自体も何本もの白樺のような白い大 樹をはやしていた。これは、昔木の種を食べた鳥が糞をして、 種が遺跡の積み上げられた石の隙間に落ち、何百年と掛けて木 が遺跡を踏みつけるようにして根を伸ばしていった結果らしい。 その様子を見て、僕は水の中に沈んだ神殿と、その上を歩く巨 大タコの足を連想した。ラピュタか何かの、ジブリの世界のよ うだとも思った。  二日目はもう少し遠くまで出掛けた。シェムリアップのだい ぶ東にあるバンティアイ・スレイ遺跡、バンティアイ・ソムレ ー遺跡を観に行った。特にバンティアイ・スレイ遺跡は、ホテ ルから四十キロ近く離れている所にあった。  きょうもトゥクトゥクに乗ったが、だいぶ離れた所にあるせ いか、きのうに比べて料金を多めに取られた。それが妥当な値 段だったのか、運転手の機嫌の分が含まれていたのか分からな い。ただ、カンボジアの感覚では高いなと思う値段でも、日本 円に換算すればたいした事は無く「まぁいいや」と思ってしま う。  バンティアイ遺跡は、アンコール遺跡の彫像と比べてまず石 が小さく、装飾も細かい。遺跡自体が小さい。アンコール遺跡 は、どれだけの人数でこの数の石を運んだのだろうと不思議に 思うくらい、大きな石のブロックが積み上げられていた。バン ティアイ遺跡もアンコール遺跡と同じように城壁に囲まれてい るのだが、全てにおいてその大きさが小さく、遺跡全体も庭の ようだった。  人が溢れていたアンコール遺跡と違い、ここは観光客が来る とはいえのんびり落ち着くことが出来る。遺跡の装飾は細微で 美しく、神話や女性の姿が彫られている。神話に登場するガル ーダやヴィシュヌ神のレリーフが綺麗な姿で残っていて、彫ら れた時のままのように見ることが出来た。  また、アンコール遺跡の壁画は、漆のような黒い光沢があり、 見ていて堅さを感じた。しかし、バンティアイ遺跡は、例えば 装飾の模様一つ一つが、指で摘めば沖縄のちんすこうのように 崩れそうに見えて、今も残っていることが不思議に思えるくら いにいつ壊れてもおかしくない印象を覚えた。  アンコール遺跡もバンティアイ遺跡も十世紀近くの年月を経 たものだった。崩れた装飾も、元の形に戻そうと今も修復され 続けている。長い年月を経て、人の手によって造られ残されて いく遺跡と、その間に生まれては消えていく小さな人間の存在 を考えた。自分も、いつまでも続いていく歴史の中に生まれた 一人だった。そう思うと、不思議な安堵感を覚えた。  バンティアイ・ソムレー遺跡の近くには民家があり、伝統的 な影絵を作る工房があった。工房では子供達が仲良くそして熱 心に作業をしていた。小学生くらいの子供達だった。小さな手 で道具を握り、黒い薄手の皮に穴を開けて、綺麗な模様を彫っ ていた。  出来た影絵は、象やトカゲの形をした物もあり、親しみを感 じた。出来たものは台の籠に入れて売られていた。買うとそれ を作った子と写真を撮り、皆からありがとうの言葉を言っても らえるのだが、少し考えてしまった。  遺跡には、物売りの子供達がたくさん居た。僕も生まれる場 所が違ったら、彼らと同じようにしていたのかもしれない。で も彼らは僕を見て、やはり同じようなことを思うのだろうか。 目の前で影絵を作る子供達を見ながら、その肩に触れようと思 えば触れることの出来る場所に立っているのに、それをしては いけないような気持ちになった。  三日目、最後の日の午前中は町を散策し、午後はアンコール ・ワットに行って寺院の中を観た。大量に大きな石のブロック を運ばせて、これだけの物を造る王の存在を考えた。王は一人 の人間ではないのかもしれない。やはりきのうのバンティアイ 遺跡より観光客は多く、壁のレリーフには堅い印象を覚えた。  夕方、このたびの最後の思い出に、登っておきたい山があっ た。アンコール・ワットの北西にあるバケン山に登って、アン コールの夕景を望みたいと思っていた。  山の上にはプノンバケン遺跡がある。ここにも大勢の人が集 まっていた。世界中の人々が集まっていた。  山の頂上に造られた遺跡の天井は空だった。皆既に適当な所 に腰を掛けていて、夕陽を眺めながら腰掛けられるような場所 はもう残っていなかった。  皆の持っているカメラは、ニコンのD700が多かった。D60より 二回り大きいカメラに、羨ましさを感じた。僕もいつか手に入 れたいと思っていたカメラだ。でも今の僕には、まだD60とこの レンズで十分だった。カメラにお金を掛ける前に、もっと色々 な所へ行きたい。  大勢の人に囲まれていたが、一人で居ることに、もう心細さ を感じることは無かった。皆と僕の何が違っていても、色々な 人がここに居て、僕がここに居ることも許されている。アンコ ールの山の上、世界中の人々と一緒に居ることに、再び包まれ ているような安堵感を覚えた。  太陽は段々と高度を下げ、西空は赤く染まっていく。僕はD60 を構えて見える景色を撮った。写真にはアンコールの夕陽と、 それを見つめる人々の姿が入った。この写真にどんな言葉を付 けようか考えたけど、良い言葉、日本語は出てこなかった。  帰りもバンコク経由で帰国し、出発した日から四日後の朝に 僕は家に帰った。  帰宅すると、早速写真をプリントしに自転車に乗ってカメラ 屋に向かった。八月のアスファルトの照り返しによって、朝で も空気中の湿気が沸騰しているような日本の夏は、カンボジア よりも暑く感じられた。  出来上がった写真を見てみると、光源を捉えたせいで、夕陽 を撮った写真に幾つもの丸いフレアが入っていたことに気が付 いた。逆光だったこと、レンズがカンボジアの砂埃に晒され続 けていたこと、安レンズであったこと、失敗の原因は幾つも思 い浮かんだ。  自転車をこいで家に帰るまでの間、続けて考えていたけど、 結局写真の良い名前は思い付かなかった。でも、夕方になって、 家に帰ってきた父さんに写真を見せると、父さんは良い写真だ なと言ってくれた。
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