純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号294
『摂食障害』
自分とはずっと無縁の言葉だと思っていた。
テレビでよく目にする拒食症や過食症の人達を、自分のいる世界とは全く別物の世界であると、彼女達をどこか傍観している気分で優越感に浸っていた。
今年の5月。
私は突然、食欲不振に悩まされた。
理由はよく分からない。
ただ、食べ物を口にする事が出来なくなった。
一言で言い表そうとすると、それ以外の言葉が見つからない。
デパートの地下の食品フロア、駅構内のパン屋、ショーケースに綺麗に並べられたケーキの数々、スーパーでの総菜エリア。
そういった食べ物の羅列を極端に避けるようになり、匂いを嗅ぐことさえも全力で拒否した。
実際に、食べ物を口にしている訳ではないが、一度匂いを嗅いでしまえば口に入れたと同然で、その瞬間救いようの無い吐き気と倦怠感に苛まれる。
今まで普通に何も考える事無く、口にしていた「それら」が突然、私を苦しめては逃さないただの食品サンプルに変わった瞬間だった。
妊娠の可能性。
女性であれば、まず最初に疑うことであろう。
しかし、私の場合ピルを服用していたこともあって、妊娠しているとは考えにくかった。
よくいうつわりの辛さとはこんなものなのか、経験したことも無いのに、勝手な想像力が働いて、この何とも言い難い吐き気を自分の中でつわりと定義付ける。
しかし、前の月と変わらない生理の訪れと共に、あくまで自分の中での結論に過ぎなかったのだと気付く。
一体、どうしてこんなにも食べ物を拒絶するようになってしまったのだろう。
今まで、ごく普通に、そして無意識に行っていた行為を、何故こんなにも脳内で必要以上に考えては、答えの出ない回答に苦しめられなくてはならなくなってしまったのだろう。
体重が40kgを切ったのは、それから1ヶ月が経った頃だった。
身長159cmにして体重39kg。
いつか「モデル体重」という言葉を耳にしたことがある。
モデルの体重の基準は、身長-120であるという一つの基準。
嘘か本当かも分からない、情報源がどこなのかも分からない、そんな信憑性の全く無い情報に振り回されている自分。
自分は今、モデルと一緒の体重なんだという間違った見解が、自分自身を苦しめ、破壊させていった。
クローゼットの中は、気付けばワンピースだらけになっていた。
もともと、好きで着ていたワンピース。
しかし今は、ワンピースしか着られなくなってしまったという事実。
スカートを履けば、サイズが合わない。
ウエストが余って、ほとんど腰で履いている状態。
膝上丈で履いていたものが、膝下のロングスカートとほぼ変わらない事を自分の目で確かめては、持っていたほとんどのスカートを捨てた。
トップスは、肩の部分が華奢過ぎて、一番きつく調整しても肩のストラップが落ちてくる。
それは、自分が撫で肩のせいだからだと最初こそ思っていたのだけれど、ある日、鏡に映った自分の上半身があまりにも華奢であることに気付き、自分が間違った考え方をしていたことに気付く。
屈めば軽く水が溜まるのではないかと思わせる骨の浮き出た鎖骨。
首から胸にかけての骨感が透き通ったかのような白い肌。
横を向けば、肋骨が浮き彫りになっている薄っぺらい貧相な体。
私の中の、女性らしさはどこにいってしまったのだろう。
「華奢ですね。」
「スタイルいいですね。」
「ちゃんとご飯、食べてますか。」
「体重何kgですか。」
「もっと太ってもいいと思いますよ。」
今まで言われたことの無い言葉を言われるようになった。
初対面の人には「痩せている」というイメージを持たれ、久しぶりに会う友人には「大丈夫?」と心配され、毎日会っている彼にさえも「もっと食べた方がいい。」と食事を促される。
それらの言葉をかけてくる人達は、どの程度本気で言っているのだろうと、本気で考えたことがあった。
所詮、社交辞令。所詮、お世辞。表の顔と裏の顔。
皆が口にする「痩せ」という言葉は、所詮私を喜ばせる為でしかない言葉に過ぎないのだと、自分に言い聞かせては、どこかで本気にしてはいけないと自分自身に喝を入れた。
そうして、見えないプレッシャーに押し潰されそうになりながらも、毎日体重計に乗り、日々減っていく体重に優越感を感じては、鏡の前に立ち、骨骨していく自分に煌々としていた。
それから、数週間後。
私の拒食は、突然止まった。
不覚にも食欲というものが出てきてしまった。
人間として、当然の欲求。
しかし、それが許せなくて、食べ物を口にする自分を想像しただけでも吐き気がするというのに、憎くて憎くて仕方が無いそのものを口にしなければいられないくらい、私は欲望を抑え切れなくなっていた。
いつか、インターネットで調べた情報。
拒食と過食は繰り返す。
絶望的だった。
今まで順調に落ちていた体重がここで止まってしまうこと。
そして、このまま体重が戻っていってしまうのではないかという恐怖。
食欲という人間の欲望を抑え切れない自分に対する怒りと焦り。
何故、こんなにも食べてしまうのか。
何故、食べても食べても満たされないのか。
何故、このまま痩せ続けてはくれないのか。
過食に走っている時は、自分を客観的に見ることが出来なかった。
ただひたすら、目の前にある食べ物を胃の中に収めていく。
消化ではない、ただの作業。
その作業を一通り終えると、今度は罪悪感に苛まれる。
食べた物が消化する前に、なんとか体外に排出しなくては。
嘔吐か下剤か。
究極の二択だった。
自分に嘔吐は向いていない。そう自覚したのは、何度か嘔吐を誘発するような行為をしたが、どれも失敗に終わり、結局実際に吐けた試しが無かったから。
それ故に、下剤に頼るようになっていった。
最初は規定の3錠。しかし、体の慣れというものは怖い。
3錠で効かなくなっている体に気付けば、10錠、20錠、30錠と数を増やしていった。
下剤乱用は、過食嘔吐に比べればリスクは低い。
そう思っているのは、自分だけだろうか。
もう一つ、過食嘔吐をしたくない理由が私にはあった。
それは、日々の嘔吐により顎下のリンパ線が腫れて、通常よりも顔が大きくなってしまうからである。
どんなに体が痩せていても、顔がパンパンでは意味が無い。
これは、過食嘔吐の人の典型でもあるという。
私は、あくまで「綺麗」でいたいのだ。
その為には、どんな努力だって我慢だって惜しまない。
これは自論に過ぎないが、過食嘔吐は私の美学に反する。
リストカットも、その類いだ。
手首を切ったくらいでは、よほど急所に当たらない限り死ぬ事は無いというのに、どうして自分の体を傷物にするような行為が出来ようか、ずっとそんな考えが頭にあった。
だから、私は過食からの逃げ道として、下剤乱用を選んだのかもしれない。
私は常に綺麗でいたい。
自分の判断基準の中で。
自分が綺麗と称する条件の中で、生き続けていたいのだ。
ガリガリは決して、美学ではない。
そんな事は分かり切っている。
痩せている女性が、必ずしも美しいとは限らない。
そんな事も、百も承知だ。
何故、痩せていることにそんなに拘るのか。
理由など、無い。
私は、ただ痩せていたいのだ。
痩せていくことが、人生の楽しみであり、唯一の楽園だ。
自分が一番、自分らしくいられる場所が体重計の上と言ったら、世間はどんな反応を示すのだろう。
世の中の人間が、皆自分よりデブになればいい。
そんな考えが、常に頭から離れない私は異常だろうか。
いつか、自分が骨と皮だけのミイラになって、誰の目から見ても拒食症であると分かるような体になって、世間から痛々しい目で見られようと、それを羨望の眼差しで見られていると錯覚し続けて、栄養失調か何かの感染症、もしくは自殺で死んでしまう自分を想像しては、今日もまた体重計に乗る。
35.2。
私はまだ、生き続ける。