『雨』 吉野慧著 この村では、雨が降ると大量の死体が溢れる。理由は知れない。  私がこの村に移って来たばかりの時に、酷い豪雨が三日も続いた。  雨があがると町の人たちは黙々と各家々から、ぐったりと魂を身体から洗い流されてしまった死体を担ぎ出して家の前に寝かせ始めた。  直ぐに道の至るところで死体が寝はじめた。その眠り方がどれも安からで、生きて死体を担ぎ出している人間の方が精気の抜けた、死んだような顔つきをしていて、一体誰が死んでいて、誰が死んでいないのか、さっぱりわからない。死体が出された家は、どれもどんよりと歪んで見えた。  暫くすると、真っ白な法衣を纏った坊主たちが現れて、寝ている死体をトラックに乗せてどこかへ走って行ってしまった。見送るものは誰もいなかった。    私は不気味というよりは、非常に不安な気持ちになって、早くこの村から出たくなったのだが、まだ仕事が残っているので出るわけにはいかない。雨なんて日常的に降るものなのに、どうしてここの人間は絶えないのだろう。それとも、もはや絶える寸前なのだろうか。      移ってもう一カ月経った。雨はあれから降っていない。仕事も終盤に近付き、間も無く帰り支度も始めなければと思っていると、遠く尾根の方から雷が鳴き出した。空は色を瞬く間に変え、辺りには湿気が発ちこめた。  あぁ、雨が降る。それはつまりまた人が死ぬという事だ。    私は気味が悪いので、宿から一歩も出まいと、部屋の片隅で窓を背にしてずっとパイプを燻らしていた。  すると、宿の女将が私を訪ねてきた。飯にはまだ早い。 「どうなさりました。何か用でも御座いましたか」女将を見て、私はぎょっとした。豊満な美しさだった女将の顔は、痩せ細って骸骨のようになっている。  女将は口をパクパクさせて「いえ、それが大変申し上げにくい事なのですが、主人が亡くなってしまいまして…私一人ではとても運び切れないもので、是非貴方様の手をお借りしたいのでございます」と、か細い音を喉から発した。  気味が悪いし、これ以上村に関わりたくないのが本心であったが、気味が悪いので嫌だ、と断るわけにもいかず、私は下に降りて宿の主人を運ぶ手伝いをした。  玄関まで運ぶと、雨が止むまで座って待つことにした。重いぬるぬるした雰囲気の中で、女将は死んだ様な顔で息をして、主人は恍惚の笑みで死んでいる。女将は主人を運んだ時に着物がずれて透き通った細い肩が肌蹴ていた。    私は女将に聞いてみた「この村では、雨が降ると、何故こんなにも人が死ぬのですか」 「…何事も低きに流れるからでしょう。生き続けることは呪縛です。不幸です」女将は主人を怨めしく睨みながら云った。艶かしい肩を顕わにしたまま睨んでいた。    雨が止み外に主人を寝かせた後、私は耐え難い疲労を無理して直ぐに支度をし、未だ終わっていない仕事もそのままに宿を出た。しかし、あれだけ雨が降ったのに、村から出る途中、外に寝かせてある死体は主人のそれ以外に一つもなかったのは奇妙である。    不思議に思って道の途中で立ち止まったが、私はすぐに考えるのを止めて歩みを続けた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 純文学小説投稿サイト―jyunbunファイル: このファイルは、純文学小説投稿サイト―jyunbun(http://jyunbungaku.exout.net/)で作られました。 この文章の著作権は執筆者に帰属します。無断転載等を禁じます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−