純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号291 『石を積む』  陸に降りたとたん急に気分が悪くなった。船に酔ったせいではない。船着場には魚のにおいと、果実のにおいと、肉を焼くにおいが混じっていて、それを一度に嗅いだせいだった。 私はにおいに敏感だ。人々が動くたび舞い上がる赤い土にもにおいは有った。祭りに集まった人々が石を載せた荷台車の為に道をあけたせいだろうか、行き場をなくした人の群れは船着場にまで溢れてきていて、私は暫くの間、船着場から動くことが出来ずにいた。  この地方の秋は長く、果物が豊富なのだが、ここで収穫される果物が国境を超える事は無い。オレンジやグレープフルーツに似たものはみな黄色に黒を混ぜたような腐敗色をしていて、みんな別の名前がついている。味は濃く、水分も多いが、それが太陽に近いせいなのか、海に囲まれているせいなのか、石が多いせいなのかは分からない。或いは関係が無いという人もいる。ここはすぐにでも火がつきそうなくらい年中乾燥していて、太陽が近いわりに暑い時期が短い。夏は知らぬまにやってきて、知らぬ間に終わる。秋はいつ終わるのだろうと思っていると、春が始まっている。「石を積む祭り」は秋に行われ、その祭りを人々は。 私の夢はこの不思議な場所の祭りを見ること、それだけになっていた。欲しかった時計や服も手に入れた。私の夢はいつもささやかなのだ。船の中で何度も読んだガイドブックを私はまた閉じようとしていた。人の群れが広場に向かって動き始めようとしていた。人の波にまかせて私が歩こうとした時、その子供に出会った。子供は物乞いだった。  「あなたの服が果物の汁で汚れていました。僕が拭いてあげたからお金を下さい」 物乞いの子供の言いたい事はどうやらそう言う事らしい。ここの言葉は少し変わっていて、私の使う言葉とは違う所があるから、理解するのに少し時間がかかった。ここには物乞いが多くいて、旅行客の服を汚し金を取るとガイドブックにも書いてあったから、私は物乞いを放っておく事にした。放っておくのが一番だと書かれていたからそうしたのだ。物乞いは人で埋まった隙間を器用に回りこみ、私の正面に立った。物乞いの髪は乾燥していて、土がついているせいで赤みがかっていた。手や腕や足は汚れたままで、手と足の爪の中には土がびっしりと詰まっていた。物乞いは靴を履いていなかったし、拾った物なのだろうか、着ている白い服は明らかに大きかった。 「お金を下さい。そうすれば広場までの近道を案内出来ます」 知らぬふりをする私の気をひくためなのだろう、物乞いは飛び跳ね、手を動かし、広場の方向を指さした。これだけ汚れているくせに、物乞いからはなんのにおいもしなかった。かわりに、私の服から果物の甘いにおいがした。 「近道があるのか」 私の言葉もわからないのだろう。物乞いはもう一度と指を一つ立てた。 私はゆっくりと「近道があるのか」と聞いた。 「有ります、裏通りにでると早いです」 「そこも人でいっぱいじゃないのか」 「いいえ、いません」 「これだけ人がいるんだ、いない場所なんてないだろう」 「いえ、いない場所は有ります」 私は物乞いを信じる事にした。物乞いがまだ子供だったからではない。私は人の波に酔っていて、まともな判断が出来ない状態だったし、何よりにおいがしない物乞いに興味がわいたのだ。私はポケットから札を出し、物乞いに渡した。私が渡した金は案内人に渡す金としては、相当に安い額だった。物乞いは金を首から下げた袋に入れると、じゃあ行きましょうと言った。 「こっちです、あなたは」 「ジェイコブだ。お前は」 「バゴウです」 物乞いは自分の名前をバゴウと言った。難しい名前だが私にはそれがすぐ分かった。この地方にバゴウという名前はたくさんいるという事は、ガイドブックで知っていた。 バゴウは私の手を握り、人の波をかき分け裏路地まで私を連れていった。広場とは反対側に歩き始めたバゴウに私は何も言う事は出来なかった。バゴウの握った手が嘘を付いている手だとは思えなかったからだ。バゴウに付いた赤い土は、私とバゴウの汗でやがて泥になった。  バゴウが連れてきたその場所で、私が驚いた事は人がいない事では無かった。確かにその場所に歩く人はいなかった。それはそれで不思議な光景だったが、宙吊りになった何体もの人間を見たとき、その思いは消えた。宙吊りの体達は建物と建物の間に張られたロープにくくりつけられて、風に揺れていた。ガイドブックの中にそんな写真は無かったと思う。あれは何だね。私は上を指さしながらバゴウに聞いた。祭りの後で焼くのです。バゴウは上など見ずに答えた。 「そうでは無い。何故あんな所に人がいるんだ」 「人では有りません」 「人形なのか」 「そう言う意味では人間ですが」 「生きているのか」 「ええ、祭りが終わるまでは」 「本当に焼いてしまうのか」 「ええ」 「生きたままで?」 「そうですよ、あれはあっち側の人間だから」 「遠い昔の話だろう、今はもう」 「ええ、僕もそう思います」 私はもう一度上を見た。布で覆われているせいで、それが本当に人なのかは正確には分からない。人のにおいはするだろうか、私は鼻から息を吸い込んだ。私の鼻はいつの間にか麻痺したようだ。祭りのにおいはそれほど強烈なものだった。魚も、人も、土も、肉も、果物も、海も、私の鼻は感じ取る事は出来なくなっていた。 「本当に生きているのか」 私は上を見ることを止め、バゴウに聞いた。 「冗談ですよ、ジェイコブさん。あれは人形です、焼くのは本当ですが」 バゴウは小さな石を一つ拾い、宙吊りの布の塊に向かって投げた。石は一つの布に当たって落ちてきた。 「昔は本当に人間を宙吊りにしていたそうです、ですが今はしません」 「何故嘘を?」 「友好の印です、この地方では友人になった印に一つだけ嘘をつくことが許されているのです」 「私達はもう友人か?」 「違いますか、違うのなら僕はここで去ります」 「私を迷子にさせる気かね、金も払ったろう」 「あれは服を拭いた代金ですよ」 「わかったよバゴウ、私達は友人だ」 「じゃあ行きましょうかジェイコブさん、祭りの後またここまで案内しますよ、人形はあのまま焼きます。焼くのは夜だからとても綺麗ですよ」 「楽しみにしているよバゴウ。それで広場はどっちだ」 「あっちです」 何十体もの人形の下を、私達はバゴウの指差す方へと歩いた。  森の奥深くにその男はいた。その男が誰なのか、どこから来たのか、いつからいたのか、それは今でも分からない。 川は森の奥まで続いていて、街から森へと流れていた。森を抜けた所に海はあった。森に住む男は時々子供を拾った。子供は街から川の流れに乗ってやってきた。子供はみんな耳を取られていた。街では子供を捨てる時、耳をとってから捨てたのだ。男は子供達に魚のとりかた、動物の殺し方を教えた。子供が眠りについた頃、時々男は街に出かけた。男は街でパンと飲み物を盗み、与えていた。ある時また子供が流されてきた。男はその少年も拾った。その子にも耳は無かった。少年は街の事を話した。あっち側のやつらは悪魔かも知れない。もう街全部が呪われているんだ。もうすぐ奴らはやってくる。僕たちはやがて殺されてしまうよ。男はその子を抱き、他の子供達を集めた。男は子供達に伝えた。今から川の石を拾いなさい、そしてこの場所に積むのです。強く、高く石を積みましょう。子供達は毎日毎日石を拾い、積み上げて行った。塔が出来た頃、その時がきた。棒の先に火をつけ、街の人々が森へ来るのが見えたのだ。男は石の塔の頂上からそれを見ていた。祈りなさい。男は子供達にそう伝えた。子供達は塔の中で祈った。街の人々が灯す火が消えた。雨が降り始めたのだ。祈るのです。男はもう一度そう言った。雨の勢いは増し、やがて川の流れがかわった。川の中にはもう、石は一つも無かった。塔の中にいた子供達だけが助かった。森も街も男もどこかへ消えてしまった。バゴウ、今からお前が神になりなさい。消える前、男は最後の少年にそう言った。バゴウは塔の中で祈った。子供達に食事を与え続けた男に祈った。男は川にうつる自分の顔をみてこう言っていた。こんなに痩せてしまった、髭も伸びてしまった、服も汚れてしまった。バゴウ、私は誰なのだ、と。耳のない少年達はバゴウを抱き、天高く持ち上げた。その瞬間、少年達は耳を取り戻した。バゴウは木を集めて男の墓をつくろうと思った。 「だからね、この街にはバゴウと言う子供はたくさんいるんだよ」 広場に向かって歩きながら、バゴウはこう教えてくれた。それはガイドブックに書いてある事と違いはなかった。 「宙吊りの人間はあっち側の人の事なんだね」 「罰さ。僕たちはひどい目に合わされたんだ」 「本当に昔この辺りは森だったのかい」 「知らないよ」 「消えた男は神だったと思うかい」 「さあ。僕と同じただの物乞いかも知れない」 「自分の事をそういう風に言うんじゃない」 「でもねジェイコブさん」 「何だ」 「僕は神だよ」 「神、と言ったのか」 「だって今年、塔の上に立つのは僕なんだ」 「本当なのか」 「嘘はひとつだけって言ったでしょ」 バゴウは手を握りなおして私の顔を見た。私もバゴウの顔を見た。いつの間にか広場のすぐそばまで来ていた。 「ほら、もう石が撒かれてる、行くよ」 バゴウは私の手を離した。 「待ってくれ」 私はあわててバゴウの手をつかんだ。 「君は私をもう一度宙吊りの場所まで連れていってくれるんだろう」 「そうだよ」 「だけど君は塔の上に立つと言う」 「うん」 「その間私はどうしていればいいんだ」 「僕をつかまえればいい」 「どういう意味だ」 「石の塔を登るんだよ、一番最初に僕に触れる事が出来れば願いが叶う」 「それはただの言い伝えじゃないか」 「でも、それを信じてみんなここに来ているんだ」 「私は信じてはいないよ」 「何を」 「奇跡を」 「聞こえるようにはなりたくないの」 「君に触れて耳がよくなるなら、とっくになってる」 「今はまだ神じゃない、僕が神になるのは塔の上だけなんだ」 「すまん、もう少しゆっくりと」 私はバゴウの手を離した。バゴウは手を動かしてゆっくりと、僕が神になるのは塔の上だけだと私に伝えた。  私は言い伝えなど信じてはいない。純粋に人がどこまで石を高く積み上げる事ができるのかが見たいだけなのだ。私はバゴウにそう伝えた。もちろん石の塔の話もガイドブックを読んで知っていた。この地方に私のような人間が多い事も知っている。だからバゴウのように子供の頃から手で話すことが出来る子供も多いのだ。ここはコミュニティーとして手で話す文化が発達している。  もちろん子供の耳を切り、捨てたのは嘘だろう。言い伝えとはそういうものだ。しかし言い伝えの中にも真実はある。歴史の中で確かに自然淘汰の文化がここにあった事は証明されている。遺伝子など知らない時代でも、人は人を分別した、遠い昔の話だ。今は食べるが、その頃は色の違う果物を食べる事も禁止していた。私のような人間が出来る原因は果物にあると思われていたのだ。もちろん耳の悪い人間を耳のない子供達と表現される事はもう無い。これはバゴウの言葉で、ガイドブックにもそうは表現されていない。しかし今でもここの祭りは「静寂の祭り」と言われている。石の塔に登る人間はみな静かな人達なのだ。静かな人達はここに奇跡を求めてやってくる。 手で話す事が出来ない人間は、私達にとってとても不便だ。しかしここならみんな手で話をする。私達が言う「奇跡」とは安らぎの事なのだ。私達は年に一度だけこの街に、この祭りに、安らぎと便利さを求めてやってくる。私達は言葉が違う異国では生きにくい。それはどの人間も同じ事だと思う。私達は不幸ではなく不便なだけなのだ。ただそれだけの事だ。ちゃんと話がしたい。私の夢はいつもささで、今、夢はかなっている。 「バゴウ」 「なあに」 「ありがとう」 「何が」 「いや、いいんだ」 「変なの」 バゴウの手は小さくて、動かし方も私の国とは少し違う。ゆっくり動くその手や腕はとても静かだが、ずっとそこには音やにおいがあるような気がした。 「僕は行くよ」 私達は広場の木の下で落ち合う事にした。バゴウの小さな背中が広場の中に消えて行った。  広場いっぱいに敷き詰められた石は、大勢の人間で塔になっていこうとしていた。待ち合わせの、一番大きな木の高さを追いぬきながら、小さな塔はやがて大きな塔にかわった。中に空間は無いようだ。塔を作る人間達が蟻のように見えた。時々蟻は塔から落ちて血を流した。それでも蟻は石を積むことをやめようとはしなかった。耳のない子供達が建てた塔はこれほど大きかったのだろうか。今にも太陽に届きそうな石の塔をみて私はそう思った。  最後の石が積み終わり、巨大な塔だけがそこに残った。私のいた場所の反対側から登ったのだろう、突然バゴウが石の塔の頂上に立った。バゴウには私が見えているのだろうか。手をふろうとして止めた。広場にいた全員がバゴウに向かって祈っていたからだ。それは静かな祈りだった。バゴウの後ろに太陽が見えた。 「バゴウ」 塔から落ちませんように、私は目を閉じてそう祈った。  目を開けると塔に人が群がっていた。その光景はもう蟻では無かった。悪魔。私にはそう見えた。蹴り落とされる者、自分から落ちる者、石も落ち、バゴウはやがて頂上で座り込んでしまった。上からの光景はどう見えているのだろう、私は石の塔に近付いた。近くまで行くと小さなバゴウが震えているのが見えた。怖いのだ。私はバゴウの口をずっと見ていた。 「ジェイコブ」 もしもそう動いたら、私は塔に登るつもりでいた。しかしバゴウの口はじっと閉じられたままで、私を呼ぶ事は無かった。知らない男が頂上に辿り着こうとしていた。もうすぐ男はバゴウを抱き、天高く持ち上げるだろう。あの男はバゴウに何を望むのだろう。バゴウは頂上から男をじっと見ていた。間に合うだろうか。私は石に手をかけて上を見た。間に合うはずなど無かった。男は手を伸ばしバゴウの腕をつかもうとしていた。 「ジェイコブ」 バゴウが飛び降りた時、そう言ったかどうかなど分からない。けれど、何かを言ったのは見えた。口と手が動いたのは見えたからだ。バゴウは何度も石にぶつかりながら広場まで落ちていった。私が伸ばした手はバゴウには届かなかった。動くことを止めたバゴウに人は群がり、死んだ蝶を蟻が運ぶように塔の向こうへ消えて行こうとしていた。人の波にのまれ、身動きがとれない私がそこにいた。 祭りの後、私は木の下でバゴウを待った。もう会える事は無いだろう、そんな気がした。バゴウが来る事はなかった。 人が消えた広場を私は歩いた。人の群れは最後の祭りを見ようと、宙吊りの路地裏に向かってゆっくりと行進していた。塔の横を過ぎようとした時、石についた無数の血を見つけた。誰のものか分からない血に混じって、バゴウの血もあるのだろう。「バゴウ」。叫ぶ事が出来れば私はそこでそうしていただろう、でも出来るはずは無かった。私は黙って塔を通り過ぎた。広場を抜けると灯りが点っている場所に出た。それは川の近くだった。私は灯りの場所に近付いて行った。そこには石の輪が有った。 何人かがそこで祈っていた。 「ここは何ですか」 見知らぬ人に私は聞いた。 「神の塔の跡だ」 そう答えた男はまた祈りを始めた。 輪はとても小さかった。 昔、ここに塔が有った、塔は一番下だけ残して消えたという。後で男がそう教えてくれた。 子供達が流れて来たという目の前の川を、私はずっと見ていた。そして夜が来て、私は路地裏に出た。 人形たちはまだそこにいた。夜になり火が放たれた。矢で火を放つ事を私は知らなかった。油でも染み込ませているのだろうか、放たれた火はすぐに大きくなりいつまでも燃え続けた。あっち側の人間達が燃え、ロープに火が着きそのままで塊が落ちてきた。布の中には乾燥させた果物が詰まっていたらしい、道いっぱいに燃えた果物が散らばった。果物じゃないか。私がそう言ったなら、バゴウは何と答えたのだろうか。その答えはもう永遠に分からないなと思った時、花火があがった。最後の船がでる合図だった。私は一人船着場へ向かった。船には灯りが点っていた。船に乗り街を見た。静かな街がそこにあった。石の塔の頂上にも灯りが点いていた。灯りは揺れていた。 「祭りの後、またここまで案内しますよ」 そう言ったバゴウの小さな手はどこにも無かった。 友人には一つだけ嘘を付くことが許されている、とバゴウは言った。なら私達は友人ではなかったのかもしれないな、私は揺れる船の中でそう思う事がどうしても出来なかった。  しわだらけのガイドブックをポケットから出し、読んだ。 それしかすることが無かったからだ。 ここには物乞いが多くいて、旅行客の服を汚し金を取る。 何度もそこだけを読んでいた。ページを破り、海へ投げた。私は服を嗅いだ。少しだけ黒い果実とバゴウのにおいがした。街はもう見えなくなっていた。船の中で私は眠った。 眠りながら、あの揺れる灯りはバゴウだろうかと思った。 ジェイコブ著/あけぼの訳「石を積む/原題、カーニバル」
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