純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号286 『最期の日』 10時に起きた。 身体が重い。 やはり昨日飲みすぎたからかな。 いくつになっても、こんな日の前でも、アホな話で盛り上がれるいい仲間だ。 幸い頭は痛くない。 ゆっくりシャワーを浴びて、着慣れたお気に入りの私服で家を出よう。 何の気なしに近所をぶらついていると、そのうちに職場の前を通りかかる。 寄っていくか。 職場なんてカラッポだろうと思っていたが、意外にも灯りが付いている。 フロアを見渡すと、ポツポツと席に座っている人たちが眼に入った。 ……だいたい10人ぐらいか? こんな日に何をしているのかわからないけど、まぁ自分も似たようなものだなと思い直す。 とりあえず自分の席に向かって歩いていくと、後輩がPCでなにやら作業していることに気付く。 どちらともなく眼が合った。 「おつかれ」 「おつかれさまです」 後輩はマウス片手に会釈した。思わず立ち止まる。 「今日はどうしたん?こんな日に」 会社は半信半疑ながら、今日は全員に休暇命令を出している。 「はい……昨日定期をここに忘れちゃって、今日取りに来たんですけど、なんだか昨日部長に送ったメールの内容間違ってたかなぁ、なんて色々確認してて、ついでにネットとかもしてたり」 「ほほう、でも、明日からも定期使うかなぁ?」 「あ、それもそうですね」 何だかおかしくなって二人で笑った。 「それもそうなんですけど、どう思います?結局この世界ってなくなっちゃうんですかね?」 急に真顔に戻り問い掛けてきた後輩に驚く。 「うーん、まぁ、よくわからないよね」 さる筋の情報ではあるらしいが、その『さる筋』に対する信憑性については、自分は知らない。 「こう、思うんです」 ここで後輩はうつむき、一拍入れた。 「信じる派とか信じない派とか、散々話題になってますけど、なんだか付いて行けてなくて、そう、やっぱりみんな普通に流れてきた毎日の中で、急にそれが終わっちゃうとか、現実味がないっていうか、何も想像できていないと思うんです」 「うん」 それは解る。 「だから、言い訳になっちゃってるんですけど、少なくとも自分にとっては普段どおりの生活をしている方が、すごく安心で楽なんです。これ、惰性って言うのかも知れませんけど」 「そっかー、つまり、普段どおり、仕事中にネットやってるんやね」 「あ」 後輩は失敗したというような表情をした後、微笑んだ。 なんとなく切れ目も良いように感じたので、片手を挙げて笑いながらその場を辞した。 言い訳や惰性と表現しているあたり、後輩自身も自分の行動に戸惑っているのだろうな、などと考えているうちに自分の席の前まで着いた。 PCの電源を点ける気にもなれず、とりあえず椅子に腰掛けた。 空腹を感じる。 そういえば今日はまだ何も口にしていない。 来たばかりだけど、何か食べに出ようかな。 思い返してみれば、あの後輩と雑談するのは珍しいことかもしれない。 こんな日だから? 何もかもこの日のせいにするのは短絡的で、良くないか。 昼食に誘おうかと考えたけど、後輩には後輩にとっての「今日」がある。 邪魔をするのも悪いだろう。 結局、席で数分ぼんやり過ごしただけで、他に会話もせず職場を後にした。 周囲から視線を感じた気がしたが、気のせいだろう。 街の風景は昨日と比べて変わりない。 もっと言えば2年前から大差ない。 定食屋だってコンビニだって電車だって発電所だって、普段通り営業している。 流石に個人商店はシャッターが閉まっていたりもするが。 しかし、ここまでいつも通りの時間が、街に流れているとは。 明日からも普段と変わらぬ日々は続くと、人々は信じているのか。 それともあの後輩のように、こんな日だとしても今まで自分たちが過ごしてきた生活を、ついつい続けてしまっているだけなのか。 何にせよ、構わない。 今日の自分のために不足なものがなければ、深く考えることでもない。 夕方からは予定がある。 最後の晩餐を共にしてくれるやつなんて、あいつしかいないだろう。 感謝の気持ちとともに、可能な限り退屈させないだけのネタを、昼でも食べながら用意しておこう。 とりあえず今から、何食べようかなぁ。 まぁ、いつもの駅前のラーメン屋でいいか。 トッピングはいつもの通り、味玉オンリー。 あそこの味玉は非常に良い。
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