純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号282 『鳴門の夫婦』  鳴門の海は青と白の飛沫が、飛翔する鴎の鳴き声と共に、混じり合いながら歌を歌う場所なのだという。  節子は有給休暇をこの日のために使って、桜木深雪とささやかな婚前旅行に当てた。婚期は今年の十一月だという。挙式は神前で行うと二人は話しあい、親戚家族と近しい友人だけを集めて行うことにした。  海峡に佇む公園施設には、入園料を徴収する受付の老女が金属製のスツールに腰を掛けていて、二人に豊やかに会釈をし迎え入れた。 「お二人様でしょうかね?…大人二枚、一四〇〇円でございます。」  桜木は二つ折りの財布から、樋口一葉を一枚抜き取り、老女へ手渡した。節子は隣で麦わら帽を脱いで右腕にそれを抱えた。そして、受付に置いてあった刺繍の編み物を手に取り、その色や形を味わっている。彼はお釣りを老女から受け取ると、節子の方を振り向いた。 「これ、渦潮の模様よね?刺繍するの大変だったんじゃないかしら。」 「あぁ。」  彼はその編み物を手にとって、両手で何度も揉みし抱くようにして触れてみた。 「中々しっかり編み込んであるな。鍋敷きかなこれは?」  すると、受付の老女が言った。 「はい、そちらは地元の手芸愛好家の方々が作ったものなんですよ。」 「そうでしたか。とても温かくて素朴な感じがいたしますね。」  節子が彼女に述べると、桜木は再び財布から野口英世を二枚取り出して、彼女に丁寧に手渡した。 「お一つ、頂けないでしょうか?この渦潮模様と手で一つ一つしっかりと編み込んである感じが気に入りましたよ。」 「左様ですか。お客様、少々お待ちいただけますか。」  すると老女は受付の奥へ向かった。どうやらこの鍋敷きの編み物には色違いがあるようで、奥の座敷から青と白、緑と白、朱と白、黒と白の四種類の品を持って来られた。 「わぁ、こんなに種類があるんですね。…あなたどうする?」 「うーん。」  桜木は節子の好みを察しながら、顎の辺りを右手で抑えていた。節子が最初に取ったものは硬い毛糸で編まれた青と白の鍋敷きで、彼は彼女がきっと最初に選んだものがよいのではないかと思っていた。 「最初に選んだものがいいんじゃないか?」 「そう、私もそう思ってたのよ。でも、あなたはどう思うのよ?」  彼は彼女から自分の意思を尊重されているのだと有り難く心に触れてから、それに答えようと目の前の鍋敷きに目を凝らした。やはり渦潮なのだから、青と白の物がいいに決まっているし、それが自然に美的ではないかと思っていたが、黒と白の鍋敷きの方がモダンで知的な風貌にも感じられた。しかし、彼が黒と白に惹かれるのは少年の頃の様な活き活きとした感性を乏しくしてしまったからではないかと思っていると、数十秒の沈黙の後に青と白の編み物の方を手に取った。 「節子、僕はやっぱりこれがいいよ。黒と白の方はモダンで御洒落に思えるけども、青と白の方がこれからの僕たちには向いていると思うんだ。」 「どういうこと?」  受付の老女が、べっこうの眼鏡に手を掛けながら、二人の会話を見つめていた。 「…。…この色の方が自然な気がするんだ。僕は君とこれからナチュラルでありたいんだ。かっこつけた様な恋をするみたいな、不自然な大人のような子供を気取って、味わいのない付き合いを君としたくない。二人で味のある自由を分かちあっていたいんだよ。」 「…。」  すると節子は抱えていた麦わら帽子を再び被ろうかとしたが、ふいに桜木の頭にそれをポンと被せて彼を見つめた。 「…こんな感じかしら?」  彼も節子を見つめて、大きく頷いた。 「うん、そうだな。」  桜木は受付の老女に代金を払ってお釣りを受け取った。二人は老女にありがとうございましたと述べてから会釈をして、渦潮の見える園内まで仲睦まじく手を繋いで歩いていった。まるで鴎の番いが二羽、歌を歌うかのように楽しそうに歩いていった。受付の老女がそれを微笑みながら眺めていたことなど、二人はいざ知らずに。
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