純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号276 『或る夜の一頁』  僕が高校生になってからもう一年半近く経ちます。高校生。それになった時のことを追憶してみても、感慨が現れた記憶には巡り会いません。しかし、なんだか少し大人になったような気がしたのは確かでした。  だから僕はそれになってからというもの、ある程度の成績と、ある程度の恋心と、ぼんやりとした僕の姿と、ちょっとした夢、が、僕の体の中を駆け巡り、混じりあっては離れ、すれ違い、時にはそれらが性行為を行い、それで性的欲求を満たしつつも生まれてくるのはどんな子供なのだろうかなどと妄想を楽しんでいたりして過ごしていました。  今はもう何も楽しくありません。もう諦めてしまいました。高校生になるまでは、もしかしたらまだ自分は何か特別な人間であり、将来はなんらかの芸術家か有名人にでもなり、富と名声を手に入れた充実のある生活が僕の内外を包み込むのではないか、などと誰もが一度は思う事柄を延々期待していたわけなのですが、それはただ期待していただけなのであって、ただ、それだけなのでした。期待というのは、本当に期待というのは愚鈍者の証です。僕の傍らにはいつも薄っぺらい、仕組みのよく分からない電子辞書を用意しているので、それで「期待」という語を調べてみた所、「将来そのことが実現すればいいと、当てにして待ち続けること」と出てきました。僕は、一生「期待」していく人なのだろうと思います。  高校生になるまでは、少年特有の学校生活における自分の立ち位置というものに懊悩し続け、逆に云えばそれにしか頭を悩ませることが無かったわけなのですが、比較的神経質な構造で成り立っている僕は、夜になるとその懊悩がころころと転がり出し、僕の普段外気に触れないような柔らかい箇所にぶつかったりするので、その痛みで煩悶し、延々、それが繰り返されるのでいつまで経っても寝られぬことなどもあれば、懊悩がころころ転がるその重心移動に付き合わされるために、三半規管のバランスを失い、今僕は寝ているのか、立っているのか、座っているのか、考えているのか、怒っているのか、悲しんでいるのかが全く持って分からなくなってしまい、それらも雪だるまのようにくっついて一緒に転がり出し、いよいよ僕は本当にこの場所に居るのかどうかさえも分からなくなってしまい、その時はたちまち吐き気を催してトイレに駆け込み、水の張った白い陶器にひたすら吐き続け、泣き崩れるというようなことがしょっちゅうありました。  このようにちょっとしたことで過敏になる自分が嫌で嫌で、情けなくて情けなくて、強くなりたい、強くなりたい、とひたすらに思い続け、何度も何度もおおざっぱな葛藤が僕のうすっぺらい心みたいな気持ちにぶち当たっては砕け、ぶち当たっては砕けの散文が僕の中で繰り返され、そんな自分自身を憫笑し続けたた結果、出した答えというものが、ただたんに一人でいるということなのでした。とても簡単です。例のころころ転がり続ける懊悩を吐き出し、踏みつぶすために、僕はリングの外に降りたのです。この行いには懊悩も飽きれたのか、もう僕の中をころころ転がり続けるようなことはなくなって、僕の皮膚の裏側にべったりと張り付くだけになりました。  それからというもの僕は、いつも自分の席に座り、小説を読んでおります。一人で一日中平然と小説を読んでおります。たまに昔の難しそうな小説なんぞにも挑戦してみようなどと思い、文字の羅列を追うのですが、顎に手を当て、眉間に皺を寄せて読んでいる次第なのですが、いかんせん頭に内容が入ってこず、それでもひたすら顎に手を当て、眉間に皺を寄せ、その昔の難しそうな小説をたった一人で一日中読んでいる僕を見て、周りの人は僕のことを精神年齢の高い、頭のいい、深いことを考えている人だのと思われるようになってきてしまっていたようで、国語の授業や社会科の授業になると、その節の言葉を僕に放り投げるのでした。  全然違うのです。何も頭に入っていないのです。頭に入れようと必死なのです。でも僕には無理なのです。ページをめくると、文字が飛び跳ねていってしまうのです。その方向はバラバラで、右にいったり左にいったり上にいったり下にいったり斜めにいったりふわふわ震えたりして、もうとても頭の中に内容が入ってきません。でもたまに運良く僕の目の中に飛び込んでくる文字もあるのですが、所詮一文字、二文字、一単語、二単語の世界なので、全く持って意味がありません。しかしそのことを必死でバレないようにしているわけなのです。この、本を読むという所為が学校での僕のアイデンティティになってしまっているので、僕の中でそれらが相克しあって、もっとも意味の無い、悲しい慣習になってしまっているのです。  その程度の人間。いやいや、それで当たり前。  そんな僕でもたまに調子の良い時などもあり、どんどん小説を読み進めるのですが、読んだ節からその小説が水に変わり、僕の目の中に入り脳髄を通過し、胸の空っぽの部分からその水を吐き出していってしまいます。それだけでは無く、僕の自信や、夢や、希望や、もっというと遠くを見つめる仕草などまでもが脳髄からその水に洗い流されてしまい、残ったものは、虚無にもならない、茫洋でもない、狭い、狭い、僕の頭の丸く滑稽な空間が出来上がるだけなのでした。  そんな状態が続くと、僕はもう何も信用できなくなってしまいました。もうみんな僕のことをバカにしているのだと思います。何も分かってていないのがバレているのだと思います。皆、僕のことを頭良さそうだの深く考えていそうなどと褒めるときは、皮肉なのだろうと思います。少しの間、真に受けていた自分が恥ずかしいです。そりゃ、嬉しかったのですよ。でもその二倍も三倍も苦しいのです。他の人から何か言われるたびに、僕は僕の輪郭を彫刻刀で彫られてゆく感覚に陥ります。どんどん浮いてゆき、滑稽な輪郭だけがはっきりし、ただただ、情けなくなってまいります。  明日には何かある。来月には何かある。それだけに固執し、嗚呼、また今日も文字の羅列と共に移ろう連日連夜の既視感のみの生活が、暮らしというものに鳴り響く。僕に、何か大義を下さい、と願う毎日です。
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