純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号273 『鎖』  冷たくなってきた風が、どこからかやってきてわが道を駆け ていく。あるところでは、人に妨害され、あるところでは壁に ぶつかった。こうして、気まぐれに徒競走は始まる。  太陽は控えめな位置にいて、地が受ける日差しは弱い。あと 一時間もしたら、日差しは強くなるだろう。通勤通学にしては 遅い時間だから、歩道を歩く人は少ない。そのなかに、男の姿 があった。深緑のリュックをしょっている。身なりは綺麗だか ら、ホームレスではないようだ。四角に近い銀縁眼鏡と前髪か ら覗く目はどこにも焦点があっていない。どことなく蛇のよう だ。  そんな男は、開館と同時に図書館にはいった。先を歩く人た ちにまぎれこみ、うまく勉強スペースを確保した。席は本棚に 一番近い列の一番奥。ここなら、席を立ちやすいうえにあまり 人がこない。 リュックから、ノートと筆記用具、ぼろぼろの教科書をとりだ した。小学生が使うものだ。  赤い付箋のあるページを開き、ノートも広げる。半分ほど使 ったのか真ん中あたりの真っ白なページを開いた。  それからもくもくとペンを走らせた。  二時間もすると、さっきまで白紙だったページがびっしりと 文字に埋め尽くされた。細々とした字だが、筆圧はやや濃い。 色ペンや枠を使ってうまくまとめられていた。  もう一冊、さっきとは別の色のノートを取り出し、教科書の ページを変えて書き出した。このノートも半分ほど使ってある ようだ。    何時間くらいそうしていただろうか、ふと男は教科書とノー トを閉じて席を立った。 同じ体勢で疲れたのだろう。向かったのは児童書コーナーだっ た。棚が一般のところより低いから、少し屈まなくてはいけな い。  絵本コーナーで一冊、児童書を二冊、手にとって、子供用の 小さなイスに腰掛けた。こんな短い物語を勉強スペースまで戻 って読むものではないと思ったのだろう。  児童書から読み始めた。しかし、二冊ともすぐに読むのをや めた。絵本に手を伸ばし、開く。何ページか読み進めて、手を とめた。  そこには、クレヨンのようなもので描かれたような絵が載っ ていた。横向きで、長身のひょろひょろとした人物が、足が隠 れるほどのローブのようなものを纏い背丈ほどの杖をもってい た。彼の前には跪いているのか土下座しているのか、そんな体 勢の小さな人がいる。黄土色の布切れのようなものを着ていた。  どちらもクレヨン質なので、表情など細かい部分は描かれて いない。ただ、ひょろひょろの人物は厳かに立っていて、彼の もつ杖の先端は白く光っていた。小さな人の前には何かがあっ た。何かはわからない。青いものや茶色なもの。形からも想像 できない。全てぐりぐりとまるく描かれている。  男は、苦い顔をして、それから少し肩をすくめた。   少しして、三冊の本を本棚へ戻すと勉強スペースへ荷物を取 りに向かった。  図書館を出て、持参した水筒から水分補給する。一リットル も入らないコンパクトタイプの水筒をしまい、腕時計を見る。 ごそごそと、ジャケットのポケットからくしゃくしゃになった 紙を取り出して、少し眺めていた。  一番上に誰かの名前が書かれていて、その下の左側には店の 名前、右側にはものの名前が書かれていた。男は、紙を取り出 した方とは逆のポケットから小型ペンを出して、紙に書かれて いる、‘書店、本’という文字の上に大きくばつを載せた。  紙とペンを無造作にしまい、歩き出した。  十分ほどして着いた場所は文房具屋。中に入って、お目当て のものを見つけるとすぐにそれを手に取り会計をすませる。店 内には五分もいなかった。  お昼時なだけに歩道に人がでてきた。男は人がいると気疲れ する。気を遣って歩かなくてはいけない。せかせかと書店に向 かった。  広い書店なのに、どの棚を見ても一人は人がいた。ぞろぞろ とグループで来ている人が多い。それだけに邪魔だ。たびたび 人にぶつかりながら、参考書コーナーの方へ行き、何冊か手に 取ってそれらを見比べる。男が見たものは全て小学生用のワー クだった。  書店を出て、大通りから細道に入る。お昼の時間の大通りは、 建物が多いだけに人も大勢集まってくる。休日なんかが特にそ うだ。そうなると思い通りに動けなくなることがあるから、男 はあまり休日には外出しない。  人気のない細道に合う、小さな洋菓子店に入る。お昼時だか らか人はほどほどにいた。男は少し目を細め、ふっと息を吐い て列の最後尾に並んだ。 数分待って、順番がまわってきた。店員がにこにこして注文を 待っている。男はクッキーを頼んだ。店員はガラスケースのな かからクッキーの袋を取り出す。  男はぼーっとガラスケースに並ぶ菓子を眺めた。ふと黄色の ふっくらした上品な洋菓子が目にとまった。視線を落ち着きな く動かした後小さく笑って、レジをうつ店員に追加注文した。 店員はトングで洋菓子を掴み、小さな箱にそろそろといれた。 会計をすませ店を出る。リュックに入れるわけにもいかないの で、クッキーと洋菓子が入っている袋は手でもっている。  大通りに戻ることはなく、さらに細道の奥を行く。人はいな い。店はある。小さいものが何軒も。 住宅にまぎれこんでいる花屋に入る。人は少なかった。洋菓子 店よりごちゃごちゃしたものはなく、人もいないせいか広く感 じた。 ぐるっと店内を見回して、ある花のもとに近づく。コスモスだ。 男は花びらがまるい、オレンジ色のコスモスを手に取って、レ ジに向かった。    人気のない公園。こんな細道にあるから危険だとか考えてい るのだろう。場所が問題なだけで公園には問題はない。遊具も 一式そろっている。 中央の端にあるベンチにクッキーと、文房具屋で買ったピンク のノート、書店で買った小学三年生用のワークを置いた。  男は公園を見回した後、寂しげに笑った。  そしてすぐにだれもいなくった。風だけが場所をとわずに駆 けている。 公園を囲むようにして立っている木々たちも寂しそうに頭を揺 らした。    男は神社にいた。公園からそう遠くはない。人はいない。細 道は不人気なようだ。もう小学生はうろうろしていてもおかし くない時間帯なのに。  男は祠に目を向けた。周りを囲む木々に隠れて、だれにも悟 られずに外界を眺めているのだろう。  祠に続く階段の一段目に、洋菓子の箱と、オレンジのコスモ スを供えた。しゃがんで目をつぶり、手をあわせる。無表情な のは変わらないが、朝歩いていたときよりさっぱりした顔つき だった。 (いってらっしゃい……)  しばらくそうしていて、おやつの時間になる頃、男は神社を 後にした。                            終
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