純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号268 『海の青か空の青か』  結衣の様子がおかしいと思い始めたのは、最初の帰省のとき。その当時は慣れない仕事や一人暮らしなどで疲れているのだろう、と楽観的に考えていたのだが。  二度目の帰省は1年前。ここで不安から確信に変わった。まず相手の目を見ようとしない。目が合いそうになると絶妙なタイミングで逸らす。そして抑揚の無い表情と口調。以前の屈託の無い笑顔など見たことがない。どうしたのか、と言う俺の問いにも「別に…」と生返事。結局真意を聞けないまま時だけが過ぎ、結衣は街へ戻っていった。  そして三度目の帰省。というか、結衣は仕事を辞め故郷であるこの村に戻ってきた。家が近いこともあり仕事帰りにチラと様子を窺うが、結衣の部屋の窓はカーテンで覆われており中を知ることはおろか、姿さえ確認することができない。結衣が戻って来てからというもの、仕事中もあれこれと思い悩む日々が続き、こちらまで口数が減り表情も乏しくなった気がした。  三日前、この村唯一の商店で結衣の母親である美恵おばちゃんを見かけた。早速結衣の様子と変化について尋ねるが、おばさんも何が何だか分からないといった表情で困惑しているようだ。とても心配しているらしく潤んだ目で俺の腕を掴み、「助けてやって欲しい」と言った。 「ごめんください!」  大きく息を吸い込んだ後、一気に吐き出すように声を張り上げた。我が村は、家が点在して建っているので都会でいうところの『お隣さん』という概念はなく、朝っぱらから大声で歌おうが喚き叫ぼうが近所迷惑で怒られることは考えなくて良い。利点…、ではないな。  そんなことを考えながら苦笑していると、ガラガラと引き戸が開き美恵おばちゃんが顔を出した。「まあ…」と意外そうな顔を見せたが、直ぐに俺の奮闘を期待するかのような笑顔に変わる。俺に結衣の心の闇を振り払ってやるような力はあるのだろうか。不安になるが出来ることはやらなければならない、そう決めたのだから。 「結衣、いますか?」  おばさんはこの言葉を待ち構えていたかのように即座に頷き、「ちょっと待っててね」と引き戸を半分開けたまま奥へと入っていった。  待ったのは、ちょっと、ではなかったが怒る気にはなれなかった。おばさんが必死になって結衣を外へ出そうと説得する声が届いていたから。どうしちまったんだよ、結衣…。  おばさんに腕を掴まれ、半ば強制的に玄関先に放り出された結衣は顔を上げる事なく「何?」とふて腐れるような声で言った。 「ああ、お前ここに戻ってきてからあんま外に出てないって聞いたから散歩がてら海にでも行こうかな、と思ってよ。俺も一人じゃ寂しいし、それに…、お前と話しもしたくてよ」  しばらく固まっていた結衣は、小さく息を吐くと無言で頷いた。その吐息は、誘われて喜んでいるのではなく、この状況を逃れることが出来ない――おばさんも様子を見守るように結衣の背後にいて無言の圧力をかけている――といった嘆息に見えた。  支度をするためか、一度中に入ると今度は数分で出てきた。白いワンピースに大きなつばの白い帽子。終始俯いて、帽子も目深に被っているせいか表情が分かりにくいが俺を嫌っているようではなさそうだ。まあ嫌われるようなことした覚えもないのだが。  おばさんに見送られながら歩き出す。結衣は俺の真横ではなく斜め後ろから付いてくるようにトボトボ歩いている。まるで俺が強引に連れまわしてしるようで苦笑するが、外に出たのはまず前進だ、何とかキッカケを掴まないと。 「へえ、まだあったのか。この神社」  百段ほど続く階段の手前で立ち止まり、鳥居のすっかり薄くなった朱色を見て呟いた。小学生の頃、放課後よく遊んだ場所だった。秘密基地を造る、とか言ってダンボールを家からかき集めて持って行こうとして父親に殴られたっけ。 「そういえば、小学校のとき美智男って奴いたろ。あいつここのお供えもん勝手に取って食べたら、その夜腹壊して病院に担ぎ込まれてやんの。お前もいただろ?全く笑っちまったよな。祟りだ、なんて学校中の笑いモンになってよ。今、美智男が何やってるか知ってるか?食品会社のセールスマンだって。食いたくねえよな、アイツが勧める食品なんて。腹がいくつあっても足りねえよ」  ワハハ、と笑い声を上げながら話しかけるが、背後にいる結衣からの応答は無し。視線を結衣の方へ向けることなく再び歩き出した。  神社の小高い山を迂回するような道を抜けると学校が見えてきた。これが俺達の通った小学校。  久しぶりに見る小学校は郷愁をかき立てるには十分の風景だった。雑草の生えた校庭も白いペンキが剥げ落ちた木造の校舎も茶色く錆びた遊具も。自由、という陳腐な表現が一番当て嵌まる時代だったのかもしれない。先のことなど何も考えず、ひたすら遊んで笑い転げていた時代。 「懐かしいな。今となっては良い思い出ばかりだ。あっ、お前はそうでもないか。よくスカート捲られて泣いてたっけ、なあ?」  振り向いて結衣の顔を見る。返事は無かったが今度は顔を上げていた。  結衣は校舎を見ていた。眩しそうに眼を細めて。化粧っ気のない顔は高校時代を彷彿とさせるようだった。いや、もっと魅力的になっている、とは口に出せなかった。  しばらく無言で歩き続けていると、潮の香りと共に浜辺が見えてきた。散歩、と言いつつなかなかの距離を歩いたもんだ。何の文句も言わなかった結衣だが、休憩無しは少し辛かったかもしれない。少し息が上がっている結衣を見て「あともう少しだ」と言った。  浜辺に着くと打ち寄せる波に沿うように歩いた。というか砂浜は太陽によってすっかり灼熱地獄化しており、サンダル履きの俺は一歩踏み出す毎に地獄を体感し、飛び跳ねるようにして波打ち際まで来たという始末。結衣がどう思ってそれを見ていたのか、は分からない。 「ここも懐かしいな。チャリンコでここまで飛ばして遅くまで泳いでいたのが昨日のことのようだ。裸になるのが面倒臭くてそのまま海に飛び込んだもんだ。こんなふうに…」  と言うと、海の方へ走り出し頭から潜り込んだ。潜っている時間はたかだか数十秒だったろうが、その間色々な思い出が呼び覚まされた。  勢い良く海面から顔を上げるとブルブルと頭を振り、海水を飛ばした。飛び散った海水が太陽光に反射して宝石みたいに輝いた。  結衣の顔を見る。口元が微かに緩んだように見えた。 「しばらくここで泳いでて。私はあっちの方へ行ってみるから」  この散歩中で初めて結衣から話し始めた。が、表情は決して明るかったあの頃とは程遠い。おう、と手を挙げ、結衣の離れていく背中を見送ると再び海へと飛び込んだ。一気に遠くの方まで泳いだ、届きもしない水平線を掴みに行くように。  さすがに疲れてきたので仰向けになり、海に体を預けるように力を抜きユラユラと漂う。音が遮断され普段と違った感覚になれる時間が好きだった。子供の頃、結衣にそう言うと「私も好きだよ」と笑い合ったっけ。  顔を上げ、立ち泳ぎの態勢を取る。そして結衣の姿を探した。  結衣は波消しブロックに腰掛けて座っていた。遠くの方にいたので表情は確認できないが一点を見つめているようで微動だにしない。  見上げているのだろうか?空を、雲を、鳥を見たくて。  見下ろしているのだろうか?海を、波を、魚を見たくて。  なあ、結衣。教えてくれよ。  そこから何が見える?                  < 了 >
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