純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号267 『「  」』 波が「 」の足元を濡らした。裸足に伝わる塩水の温度は生ぬるい。波が砂浜にととくぎりぎりの場所を「 」は歩いていた。 小さな貝殻を踏む。その時の感情を「 」は知らない。海を見たまま顔をあげると月が見える。月は今日もそこに有った。海岸線にそって「 」は歩き続ける。振り返ると月あかりでぼんやりと村が見える。みんなはもう眠っているだろう。 「 」は立ち止まりまた月を見る。まっすぐ伸ばした両手のさきで輪をつくる。輪と月の位置をあわせ手の向こう側に月を見た。手をほどき自分の手の平を見る。蟹よりも大きく葉よりも小さいと思う。その手で月に手を伸ばす。今日も手は届かない。とても遠い。「 」は月までの距離を思う。  村のはずれの一番大きな木まで歩いた。大きな木につく葉は海亀と同じかたちをしている。葉はとても高い場所にあり、実はそのかげで育つ。 木の幹の裏に隠している石を拾う。一番太い枝に印を付ける。石を握り木に傷を付けると白い汁が出た。今日つける傷はいつもより長い。月がまるい時、「 」は長い線をそこに入れる。線はだんだん短くなり、また長くなっていく。そのかたちは岩につく黒い貝に似ている。「 」は足を村へむける。来たときと同じ場所を歩こうと思う。「 」の足を濡らした波はもうそこにはない。海の最後の場所は月のかたちでかわるのだろうか。また「 」は月を見た。  娘が鳥を追いかけている。この鳥は飛べない。飛ぶ鳥の大群のむこうに太陽が見えた。たどりつけない場所。全てを照らす光の事を「 」はそう思っている。 娘は鳥の首をもち、少年のもとへ走っていく。少年が娘を見ている。娘は鳥を少年に渡す。少年が首を切る。鳥は飛べない翼を大きく広げたあと静かになった。血が砂浜に落ちている。それは海亀の形をした葉の影の果実と同じ色をしていた。村人が女を流木にくくり付けている。娘と少年はそれを見にいく。少年が鳥の首を海に投げた。女は血を流さずに命を終えた。男はそれを知っている。草のつるでくくられた女は村人に運ばれ、海に捨てられた。波にのり、やがて女は月に行く。村人はそれを信じている。日暮れには女の肉は鳥に食べられてもうないだろう。「 」はそれを知っている。 鳥が飛ぶことをやめ、雲の色がかわった。においもかわり、「 」はそこに雨を感じた。日暮れ前に雨がふった。雨にうたれ女はそこにずっとさまよっていた。「 」は流木からつるを取り、女を抱き海にはいった。雲にかくれてぼやけた月に近づくほど、水は冷たくなった。女を離すと肉体はゆっくりと沈んでいった。沈む女と揺れる月を見た。あのまっすぐな海のはしに行けば、そこは月なのだろうか。男は船をつくろうと思った。 雨があがり、風のにおいがかわった。「 」は流木をあつめはじめた。娘と少年はその様子を見ていた。指のかずだけ流木を集め、「 」はそこで立ち止まった。流木を組む方法を「 」は知らなかった。娘がつるを持ち、「 」のそばに来た。くくったつるはすぐにほどけてしまう。「 」はそれを知っていた。 少年はその様子をじっと見ていた。しばらくじっと見た後、立ち上がると枝を持ってきた。それは海亀の形をした葉をつける木の枝だった。少年は枝を木につけると両手で回し始めた。穴をあけ、そこにつるを通す。「 」は少年の手の上に自分の手をかぶせた。月がまるい夜、風のにおいがかわった。「 」はこのにおいを知らなかった。やがてにおいは強くなり流木からけむりがあがった。少年と「 」は枝をまわすのを止めた。枝の先は赤く、さわると痛かった。蟹を踏んだ時と同じだ。「 」はそう感じた。「 」は枝を娘に渡した。娘は枝の先を自分の手の平に付けた。娘は枝を放り投げた。 枯れた葉の上に落ちた枝はそこに火をつけた。「 」は、太陽よりあついその揺れる炎を眺めていた。炎の前で娘と少年は眠った。 今なら月にいけるかも知れない。「 」はそう思った。未完成の船を海に浮かべた。船の上にのり、手で波をさわった。波は月に向かっている。「 」は振り返り、娘と少年を見た。娘と少年は船を浮かべた音と、熱さで目をさましていた。娘と少年はふとい木の枝を持っていた。その木の先は燃えていた。月に近づいた。それを見て「 」はもう一度そう思った。あの二つの炎が月までの距離と道筋を教えてくれる。 船の上で「 」は立ち上がった。だんだん小さくなっていく二つの炎、娘と少年。そこにむかって「 」はこう叫んだ。 「アー。アー。アー」 「あけぼの/「 」」
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