純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号264 『白球に想いを乗せて』  帽子を脱ぎ、袖口で汗を拭った。土の付いた顔をスコアボードの方へ向ける。 「よくここまで来たもんだ…」  そう呟いた後、反転し次の打者を睨みつけた。  4対3。スコアボードには、そう記されていた。9回裏、相手の攻撃を抑えることが出来れば夢の晴れ舞台へ…。自然と拳に力が入る。  相手の3点は完全に俺の一人相撲。元からスロースターターだが、極度の緊張から余計に力んでしまった。自分を見失い、フォアボールと連打で畳み掛けられてしまった。  ダメかもしれない…。と俯き加減で弱音を吐き出しそうな時、ショートの一之瀬が俺に近づくのが見えた。 「ドンマイ、幸太郎君。まだ初回、いつでも取り返せるよ。君のおかげでここまで来れたんだ、悔いの無いピッチングをしよう。負けたチームの想いも背負って決勝まできたんだから最後まで諦めちゃいけない。そして…、僕達全員で行こう、甲子園へ」  一之瀬は笑っていた。守備は巧いが打撃はからっきしの九番打者。内気な性格で話すことはあまりなかったが、必死に俺をなだめようとするその表情。そして周囲を見回しても内野手全員の目にも光が宿されていた。外野の方を見る。センターの安田は幼馴染みで今でも仲が良い俊足巧打の一番打者。  安田は俺の視線を感じたのか、両手を大きく振り、時折変な踊りを交えた。あいつは…、バカだな。空元気の笑顔でグローブを突き上げ、安田へ返事した。  誰一人として諦めてはいなかった。自分で撒いた種を自分で処理しようともせず、簡単に心が折れそうになっていた自分を恥じた。そして、皆に感謝した。 「プレイボール!!」    球審が高らかに最終回の始めを宣言した。指先で球の感触を確かめながらキャッチャーのサインに目を通す。そして振りかぶって、初球。 「スットライーク!」  渾身のストレート。相手は一番からの好打順、油断大敵だ。ましてやクリーンアップには初回3連打を浴びて辛酸を舐めさせられた強打者揃いなので、その前にランナーを出しては命取りになってしまう。  深呼吸を一つ落とした後、次のサインを確認する。カーブを外角低めに、か。ストライクからボールになる変化球で相手を誘い、空振りか打ち損ないを狙う腹か。キャッチャーの倉内とは高一からバッテリー組んでんだ、それぐらい分かってるよ。  ゆっくりとしたモーションからの第二球。 ――イカン、すっぽ抜けた!  投げる瞬間の指の引っかかりに違和感があったが、後の祭り。ボールは外角どころかど真ん中に吸い込まれていく。  キン、というキレイな金属音を残した痛烈な打球はサードライン際。抜けたら長打コース。  打球の方へ目をやる。すると、サードの荒木がこれ以上伸びない、というくらい体を伸ばして飛び込み、ボールを取ろうとしていた。が、グラブには当たったが弾かれたボールは転々と後ろへ。素早くショートの一之瀬がフォローし、ランナーは一塁でストップ。 助かった…、ノーアウト一塁と二塁とでは大きな違いだ。一之瀬からボールを受け取るとズボンの土を払っている荒木に一声かける。 「お前の100年に一度の好プレーで命拾いしたよ、サンキュー」 「ぬかせ。それより次は二番打者だ、十中八九バントだぞ。そこんとこ頭に置いて投げろよ」  荒木がこめかみ辺りを人差し指でトントン、と二・三度叩いて注意を促した。  マウンドに戻りロジンバックを掌で踊らす。地面からの熱気でむせそうになったので咳払いして誤魔化した。  倉内もバントの格好をして内野手に周知させる。内野手も頷き、バントシフトを敷く。  球審が手を挙げ、進行を促す。一塁ランナーを横目で確認し、第一球はワンバウンドのボール球。倉内が肩をグルグル回し、力を抜け、の合図をする。無言で頷く。  二球目もストレート。バッターはバントの構えからスッとバットを引き見送った。球審はボールの判定。カウント、ノーツー。  フォアボールは絶対に許されない場面、次は必ずストライクゾーンに入れなければならない。三球目もストレート。バントでも何でもしやがれ。  投げると同時にサードの荒木とファーストの榊原がバッターへ向かって走り出す。  しかし、バッターはバントの構えから一転、ヒッティングに打って出た。 ――しまった!!  打球は荒木の横をすり抜け三遊間へ。まさかの奇襲。  だが転がるボールの先には一之瀬が待ち構えていた。よし、これで二塁は刺せる。 ――あっ。  ここで予期せぬことが起きた。  バントと決め付けて気が抜けていたのか、ショート一之瀬がトンネルし打球はあっけなく外野へ。センターの安田が必死に追いつきサードへ返球するが、ランナーの方が一足はやく塁審は目一杯両手を広げ「セーフ!!」と叫ぶ。  相手高校の応援席からは歓声が沸き起こり、逆に自高校のベンチからは溜息が漏れる。ノーアウトランナー、二三塁。  気持ちを落ち着かせるために足でマウンドをならし時間を稼ぐ。ヒットエンドランとは、全くやってくれるぜ。さすが百戦錬磨の名将と謳われた監督だけある、そう簡単には勝たせてくれないか。 「タイム!」  背後から球審の声が聞こえたので振り返ると、どうやらうちの監督が伝令を飛ばしたようだ。補欠の同級生、串木野が全速力でマウンドへ向かってくる。それに合わせて内野も集まってきた。エラーした一之瀬はガックリと頭を垂れて近づいてくる。 「悔やんでも仕方ない、置かれた状況で最善を尽くそう。次のバッターを歩かせて満塁策を採るかどうかはお前らバッテリーの判断に任せる。厳しかった練習を思い出せ、今こそ成果を見せる時だ。ここまで来たんだ、負けて泣くより勝って泣こう」  串木野が監督の言を伝えてベンチに戻る。それと同時に野手も散開した。  ユニフォームの胸の位置に縫い付けられているお守りに手をやる。中身はベンチにも入れなかった野球部の皆の言葉。俺は決して独りで投げているわけじゃない。ベンチに目を向けた。毎日俺達の世話をしてくれたマネージャーは手を合わせて目を瞑っている。  よし、と気合いを入れ直した後汗を拭う。すると定位置に戻ったはずの一之瀬が再びマウンドへ向かってきた。 「ゴメン…」  消え入りそうな声で呟く。責任に押しつぶされそうな一之瀬の顔は蒼白で立っているのもままならないように見えた。 「お前初回に言ったよなあ…」  俺が話しはじめると、一之瀬はゆっくりと顔を上げた。 「諦めない、って。負けた奴らの分まで、最後の最後まで諦めてはいけないって」  一之瀬は何かに気付かされたように、ハッとした表情になった。 「俺はまだ諦めちゃいねえよ。ここで同点にされたら打力で劣る俺達に勝ち目は無い。絶対に守り切るんだ。そして、一緒に行こうぜ、甲子園」  グローブで一之瀬の胸をドン、と叩く。すると、一之瀬の顔は見る見る紅潮し、「おお!」と声を張り上げ守備に戻った。  ありがとうな、一之瀬。お前のおかげで立ち直れたんだぜ。  いや、一之瀬だけじゃない。皆に感謝だ。守ってくれている野手もベンチの補欠も監督もマネージャーもスタンドで応援してくれている人も。  無意識にセンターへ目をやった。安田が笑ってグローブを振っている。この状況で笑ってられるのは…、やっぱりあいつはバカなんだな。バカで面白くて…、大好きな奴だ。  踵を返しバッターボックス内の三番打者を睨みつけた。ギュッと力強く白球を握り締め呟く。「皆で行くんだ、甲子園へ」  ゆっくりと足を上げると、心の中で叫び声を上げながらボールを放った。  ムチのようにしならせた腕から放たれた白球が、『魂』のように見えた。                      < 了 >
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