純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号255 『その翼、猛々しい』  夏祭りの屋台を下見に家を出た。今から二時間前のことだ。今もこうして家の前にいる。日は傾き空はほんのりオレンジだ。もちろん下見には行っていない。行けていないのだ。どうしてか行くことが出来ない。他意はない。二時間前はずいぶん楽しみに思っていたし、確かに途中までは歩いた記憶がある。  一度家に戻って、妻と息子を連れて祭りに行こうかとも思った。しかし、それは諦めた。どうしても私は下見をしなければならない。  社会人の私が平日の昼間に祭りへ行こうと彷徨っているのは、不審だ。どうしてこんなことが出来るかと言うと、夏休みと称して執筆をサボタージュしているからに他ならない。その為あと三ヶ月後には収入がほとんどなくなり、貯金を切り崩して生活していることだろう。  もう一度、屋台がある方へと歩き出した。私が住んでいるこの町は海のすぐ側にある。今日の夏祭りはラストを花火で飾るというもので、海の近くに屋台が出る。あいにく私の家は海の近くでもなければ、高台にあるわけでもないので、花火を見るためには海岸まで足を運ばなければならない。  そこまでは徒歩で十五分くらいかかる。電車も通っていないような田舎なのでちょうどいい時間にバスが来るわけでもなく、車を所有しているわけでもないので徒歩か自転車になる。そして家族で自転車に乗れるのは妻だけなのでやはり十五分はかかるのだ。  なぜ、このような交通の便が悪いところに一軒家を構えることとなったかというと、私の故郷ということもあるが、主には息子の病気が関係していた。  妻の妊娠がわかったのは結婚して二年目の春で私が二十七の時だった。その頃は京都市内から少し離れたアパートに住んでおり、共働きだったので割と贅沢が出来ていた。行為の回数も経済的な余裕からか割と多めだった。子作りの計画などは全くしていなかったので、私にとってはほとんど事故のような出来事だった。しかし妻はとても喜んでいるようだった。一九九二年のことだ。  その子は飛鳥と名付けられた。名付けたのは妻だ。意味は聞かされていない。  その頃私は全く関心がなかった。息子にほほえみかけてやることすら出来なかった。そんなことはお構いなしに飛鳥はすくすくと育っていった。  息子が出来て六年経ち飛鳥は小学校へ入学した。入学式には妻が出席した。私も家にいたのだから出れば良かったのだが、父親が行くのは変な気がして行くのを躊躇った。  それから一ヶ月後のことだ。妻が心配そうに一つの紙を見せてきた。紙には不整脈、一度病院を受診するように、と書かれていた。  妻はひどく心配しているようだったので優しく伝えた。  不整脈を心配する必要はない。  本当に無責任な発言だった。自分の息子なのだ。妻のように心配するのが当たり前のことではないか。  それに私は知っていた、不整脈で突然死することもあり得ることを。もちろんそれが全てではないし、何ともない不整脈も多い。しかし息子のために心配して然るべきだったのだ。私は息子の身を案じるよりも、妻の不安を煽りまいとしてそれを伏せていたのだ。  その週末、三人で病院を訪れた。検査はスムーズに進みあっという間に終わった。そして私と妻はある部屋に呼ばれた。  そこには医師のデスクらしきものがあり、その上にはテレビドラマで見たことのあるような、レントゲンを貼るためのスペースがあった。  医師は息子の体調不良について訊ねた。妻は息子が疲れやすいことを伝えた。知らない情報が出てきたため私は不愉快だったが、妻になだめられた。  私は黙っているしかなかった。しかし息子の容体については、その時得た情報だけで充分推測することが出来た。もちろんただの不整脈かもしれなかったがここに呼ばれた時点でその線は薄いと思っていた。  医師から息子の病名が告げられた。  特発性拡張型心筋症。医師が言うには進行は進んでいないらしかった。  私の推測はあながち外れていなかった。拡張型心筋症については小説で書いたことがあったので、もしかしたらとは思っていたが……。  妻は完治するか否か知りたがったが、私はすでにわかっていた。妻には教えなかった。  医師から治らないことを告げられた。妻はうろたえたが私は全く平静だった。  ……入院して様子を見ましょう。  医師の一言でその日は飛鳥を残して帰宅することとなった。その夜、私はぐっすりと眠れたが、妻は全く眠れなかった様だった。  翌日は日曜日だったので妻と見舞いに行った。前日のことでまた騒ぎ出すと思ったが妻は静かだった。  息子の病室は個室ではなく、周りには埋まっているベッドが五つあった。妻は病室に入るまでは落ち込んでいる様子だった。息子に悟られるか心配だったが、妻の表情は病室にはいると見違えるように明るくなり息子を抱きしめに向かった。私はその後ろからゆっくり歩いて付いていった。  妻は一日中、昼食のために病室を離れたとき以外は息子と喋っていた。私はその間中、病室の窓から外を眺めていた。周りの患者はそんな私を不思議に思ったに違いなかった。その窓からはきれいな庭が見えた。  夕方になり二人で帰った。あまり遅くまでいると息子に怪しまれるかもしれなかった。その日は一言も息子としゃべれなかった。夕食は帰りにコンビニ弁当で済ませた。  翌日も私は病院に顔を出した。理由は特にない。ほとんど義理のようだった。  もともと執筆スピードは早い私は多少サボっても平気だったし、前の作品の印税だけで当分暮らしていける額はあった。といっても売れっ子作家というわけではなく、病室にいる間も作品のことが常に気になっていた。  病室に入ると息子が眠っていた。家にいるときはほとんど見ることはなかったが、こうしてみると可愛いものだった。  パパ、僕死んじゃうのかなあ?  息子が目を覚ましたようだった。今まで会話を交わすことは少なかったのでなんと声をかけて良いのか迷ったが、向こうから話しかけてきた。答えようとしたがその内容にいささか引っかかりを憶えた。  もしかしたら、ただ漠然と予感しただけかもしれなかったが、その時の私は落ち着いてそう考える余裕は無かった。  答えることが出来ずに無言を貫いた。失敗だったと思った。会話のチャンスも逃し、不信感も抱かせてしまった。息子は怯えているように見えた。  それでも息子は強かった。再び息子の声が聞こえた。  パパのお仕事ってなんなの?  私は作家と答えようとしたが子供には難しいと考え、お話を考える人だよ、と答えた。息子は私に話をさせたがったが、面倒に感じたのでまた今度と言って先延ばしにした。  じゃあ、夏までに考えておいてね。  私は適当な話で誤魔化すことにした。面白く話を聞かせられれば普通の童話で済む気がした。第一私は童話作家ではなかったため息子が喜ぶような話を作る自信はなかった。  その日はほとんど喋ることなく帰った。夕方までは滞在した。  翌日も見舞った。徐々にだがこちらから話しかけられるようになった。しかし息子は一ヶ月ほどしか学校に通っていなかったため出せる話題は乏しかった。それからは毎日行くようになった。  週末になると妻と二人で見舞いに行った。毎日息子と会っているので妻より仲良くなっているのでは、と思ったがやはり妻の方がなつかれていた。  それから三ヶ月程たって世間は夏休みとなった。私は妻よりも息子と親しくなっていた。息子に話しをしてやろうと思った。自分で作ろうかと思ったが、諦めた。がっかりさせたくなかった。  偶々思いついた『みにくいアヒルの子』に決めた。息子がすでに聞いたことがある話を避けるため家にある絵本は避けた。  私が病室にはいると息子は笑顔で駆けてきた。私は笑顔を作るのが得意ではなかったためいつも通り真顔で接した。  ベッドの隣で椅子に座り覚えてきた内容を話した。このとき、あたかも自分で作ったかのように話さなければならなかった。  息子は相づちを打ちながら聞いてくれた。退屈な風には見えなかったが、興味を持って聞いてくれている様にも見えなかった。全て話し終わったところで息子が口を開いた。  でも、アヒルさんも白鳥さんもお空を飛べるからお友達になれるね。  私は結末に対しての感想を述べると思っていたので拍子抜けした。だから、なぜそう思うのか訊ねた。  鶏さんは飛べないから、仲間になれないからだよ。  それは悲鳴の様に聞こえた。息子は病気の足かせのせいで飛べないのだ。鶏なのだ。  紙飛行機を作らないか。  無意識に提案していた。息子が惨めに感じたわけではなかった。心の温かい部分が私の意志を動かした様に感じた。息子を飛ばせてやりたかった。  やっぱり、なんでもない。早く学校に戻れるようにしっかり病気、治さないとな。  息子は困惑した表情で私を見つめたあと、うん、と元気に返事をした。  翌日病院に行くと病室に息子がいなかった。慌てて看護婦を捜し、息子の居場所を尋ねた。いつの間にか息子を心配できるようになっていた。  看護婦によると紙飛行機を飛ばすために庭に出ているらしかった。昨日、私が話題に出したのがいけなかったと思った。  息子の病気に運動は良くない。心臓に負担をかけることを極力避けるように言われていた。紙飛行機を飛ばすこと自体は特に制限する必要はないが、それを夢中で拾いに行く、または追いかけることは自殺行為だった。  私は急いで病院の庭へ走った。途中他の入院患者にぶつかりそうになったりしたが、トラブルは起こさず庭に着けた。  息子が見えた。焦っていたのがわからないように息を整えてから早足で近寄った。  僕ね、いつか紙飛行機みたいに飛ぶんだ。  自分の発言がどれほど息子に影響を与えていたのかわかった。息子の世界はいつも見舞いに来ている私だけだった。  その日の午前中は一緒に紙飛行機で遊んだ。とは言っても、息子が飛ばし私が拾いに行くというだけのものだったが。  午後になって雨が降り出した。私は洗濯物を取り込むために家へ戻ろうとした。それを息子が引き留めた。  私は洗濯物が濡れてしまうからどうしても帰らなければいけないと言った。しかし息子は納得しなかった。代わりにある提案をしてきた。  パパが戻ってこなかったら、この窓から飛行機飛ばしていい? そしたらパパも紙飛行機に気付いてここに戻りたくなるよ。  早く帰りたかった私はそれを承諾して家に戻った。今思い返すと大きな過ちだった。  家に着くと急いで洗濯物を取り込んだ。その頃には外はもう嵐のようで家からは一歩も出られなくなっていた。私は仕方なく雨が弱まるまで家にいることにした。  一時間ほど経って病院から電話がかかってきた。内容はあまり覚えていないが、息子の容態が急変したみたいな話だった。職場にいる妻に連絡を入れたあと病院に行く支度を整えた。  豪雨の中私は家を出た。結局雨に晒されるなら早く家を出ておけば良かったと思った。  妻の職場の方が病院に近いので先に着いたのは妻だった。私が集中治療室に着くと妻は看護婦と会話をしていた。  あなたのせいで飛鳥は死ぬのよ。  最初は意味がわからなかったが、看護婦に説明されてわかった。  息子は私が帰った後、紙飛行機を飛ばしたそうだ。しかし私は戻って来なかった。再び飛ばすためにあの大雨の中息子は飛行機を取りに行ったそうだ。それを発見したのがこの看護婦で、外に連れ帰りに行ったときには発作が始まっていたらしかった。  私は取り返しの付かないことをしてしまった。  妻と一緒に治療室前の廊下で待った。息子が元気に戻ってくるのを。だが、悲報はすぐにやってきた。  担当の医師がゆっくり歩いてきた。  残念ですが、息子さんは……。  沈黙が私と妻だけを覆った。息子は死んだ。  人の死とはあっけないものだ。鶏が肉片に変わるように人も簡単に死ぬ。それは周りの意志とは関係ない。なぜ息子だけがこんな運命だったのだろう。紙飛行機すら飛ばせないような過酷な状況に置かれていたのだろうか。  息子はもういない。この土地にやってきたのも息子の療養などではなく埋葬のためであった。息子の側で生きたいという理由で都会の生活を捨て、私は田舎に帰ってきたのだ。妻とはその事が原因で離婚した。  忘れていたわけではない。なかったことにしたかった。家に帰ると妻も息子もいて、当たり前のように家族で夏祭りへ行くことを望んだ。  息子が死んだはずはない。その証拠に私は祭りの下見に出ているのだ。何か確かめる方法は無いものだろうか。  道の左側、普段はほとんど通らない道を進んだところに墓地があった。私の先祖の墓もそこにある。あそこに行けば息子の生死がわかる。  私は海への道を左へ曲がって墓に向かった。  墓を見つけたとして私はどうするのだろうか。泣き崩れて動けなくなるのだろうか。見なかったことにして祭りへと向かうのだろうか。答えはわかっている。全てを忘れ家に帰る。家を出てから二時間、ずっとそれを続けてきた。  私の名字が書かれた墓を見つけた。何度も来たことがあったので間違うことなくたどり着けた。息子の埋葬に来たときに覚えたのだろうか。わからない。  右側の石版を確認していく。祖父や祖母の名があった。その横にはっきりと書いてある。  山本飛鳥。  息子は死んでいた。すでに知っていた。  夕日に背を向け家路につく。ふと気になって振り返った。  海に上った太陽は海に沈みかけていた。もうあと一時間ほどすればあの場所に花火が上がるかもしれない。私はぼんやり海の方を眺めていた。鳶が空を旋回していた。  人影が見えた。身長から考えて小学校低学年くらいだろうか。格好はわからないが右手にカップのようなものを持ちこちらに向かって歩いてくる。祭りから帰るのだろう。  私は数秒立ち止まってそれを眺めていた。  少年は唐揚げを無表情でほおばりながら私の横を通り過ぎている。息子も生きていればこんなだっただろうか。今日も普通に祭りへ行き、少年のように唐揚げを食べられていたのだろうか。  すれ違いざまに、少年の食べている唐揚げが目に入った。私は息子の面影を見た。  唐揚げだ。  今、鶏は唐揚げとなって食べられている。やはり鶏は飛べない。殺されてただの肉片となるのみなのだ。そして、あの時はたまたま私が息子にとっての食肉加工業者だった。罪悪感は必要ない。  少年はさらに歩き数メートルほど遠ざかった。私も家の方向に歩き出そうとした。  死角から黒い影が現れた。その影は少年の唐揚げのカップをはたくと、二個ほど落としながらも片方の足で一つを掴み大空へ消えていった。  鶏は飛べた。私は再び海へと足を進める。もう家へ引き返す意味はない気がした。
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