純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号253 『修二』 「木箱の隙間から見える月がずっと追いかけてくるせいで、私は退屈になり、眠っている間に朝になっていました」  青森から西へ向かう汽車の中で、女は私にそう話しました。  私がこの国に来てから、ずいぶんと月日がたってしまい、もう今年で何年になるのか、わからないのですがただ何年過ぎても、私がこの国にいて思う事があり、それはこの国の人間、特に女は年齢がわからないという事なのです。  今、私の正面に座り、木箱の話をする女も 私には三十歳くらいに見えているのです。しかし私の見当はいつも外れあてにはなりません。 「木箱は、中からでも開ける事は出来たのですが私はシュウさんを待つ事にしたのです」 「シュウさんとは?」 「ほら、今席を立って、向こうへ行ったかたです」  女の横には男がいて、どうやらその男はシュウと言う名前らしい、男がうなづいたので、私はそれを知りました。  シュウ。  この国の言葉でどういう字を書くのかは、その時の私には分かりませんでした。  男はとても良い服を着ています、でも慣れていないのか、うす汚れて見えました。髪も濡れているように見え、整えてもいません。顔色も悪く、病気で、たまに咳こむのですが、それは長く続くと女は言います。 「木箱を開けてくれたのは、シュウさんでは無く、子供たちでした。子供たちは箱の中から女が出てきても、驚くような事はありませんでした。海辺の、あのあたりでは良くあるのです。人買い船はそこら中にいますので」  人買い船。  この国と隣の国の間の海を徘徊する、船の事です。女には言いませんでしたが、私もその、人買い船でこの国にやってきたのです。 「ただ、私はもうこの年ですので、お金にはならず、捨てられてしまいましたが」 「失礼ですが、お年を聞いてもよろしいでしょうか?」 女が年の話をしたので私はそう聞きました。 「異人さんは、おいくつなのですか?」  私は自分の年を忘れてしまいました。あちこち旅をするうち、月日というものを亡くしてしまったようです。私は女にそう話しました。 「私も似たようなものです。シュウさんに、時間を取られてしまいましたので」 女はそう言いながら、帰ってこない男を振り返るように通路に首を出します。  男が席をたってから随分な時間が流れているのでしょう。汽車はもうすぐ青森を抜けようとしています。 「シュウさんは、もの書きで、そしてすぐに死のうとするのです」  男を探すように、何度も振り返りながら、女はそう言いました。  私は旅をするうち、この国のいろんな人間に会いましたが、もの書きの話は初めてでした。 「あの人の袖の中には、薬が入っています。睡眠薬なのですが、臆病者で少ししか飲みません。死ぬ、少し前の量だけ飲むのです」 「そうなのですか」 と私は聞きます。 「三日ほど眠り、目がさめた後、いつも私に言うのです、何故死なせてくれなかったと」 その時、女の顔が少しかわった、私にはそう見えましたが、異人である私から見て、この国の女は表情というのが分かりにくいのです。 「死ぬ気などないくせに」 女はそう言いました。 「私はシュウさんが眠る間、何もしないのです。汗ひとつ拭いたりもしません。水もあたえず、ほおっておくのです。それでも勝手に目覚めてくるのです。もともと死ぬはずがないのです、あれくらいの薬では」 「薬の名は?何を飲むのです?」  カルモチン。  女はそう答えました。 「飲んだことは無いのですが、聞いた事はあります。随分昔ですが」 「どこにでも売っていますので」 女はそう言い、初めて外を見たのです。 「海の水はまだ冷たいのでしょうね」 それが一人言なのか、私に聞いたのかは分かりません。 「この辺りの海は、いつも冷たいのではないですか」 「こんな所にも、春はくるのです。少しですが水も温かくなります」 私も窓の外を見ました。海は見えませんでした。知らぬまに夜が来ていました。 「体が悪いせいで兵隊にもなれないのです」 女は、初めて私の顔をまっすぐ見て言いました。 「そして、命について文字を書き、死にたいと言います。死ねない癖に、命について書きます。人間のクズです。シュウさんは」  兵隊。  もうこの国の戦争はとうの昔に終わっていました。だからこそ私はこの国に居られるのです。 「なので私はシュウさんの傍から、離れる事が出来ないのです。シュウさんは私に一緒に死のうと言ってくれません。海に行こうとも言ってくれません。私はずっと待っているのです。シュウさんがそう言ってくれるのを」 「シュウさん。彼はいったいどこで何をしているのでしょう」 女はまた、後を振り返りました。 私はシュウさんの顔を見ていました。 「ベイビー」  シュウさんはそう言いました。 「彼女はベイビーなのです」 この女がベイビーだという事は気付いていました。 「時間旅行をされておられるのですね」 私はシュウさんに聞きました。 「いいえ、シュウさんを待っているのです。ただそれだけです」 女はそう答えます。 シュウさんは女の隣でただ黙っていました。 「死にたがりですので、身投げでもしたのでしょう。少しみてきます」 女はそう言って席を立ちました。  女が行ってしまうと、私は言いました。 「追いかけなくても、良いのですか?」 女が帰ってこない気がしたからです。 「大丈夫です、いつもの事です」 シュウさんはそう言いました。 「彼が書いた物語の中と今を、行ったり来たりしているのです、頭の中で」 「毎日ですか?」 「いいえ、まれにです。海をみたり、薬を休むとああなります。今日はこれに乗ったからでしょう」 「あなたは、付き添い人なのですね」 「まあ、そうです」 「失礼ですが、お名前は」 「決まりで、それは言えないのです」 「そうでしたね」 女はすぐに帰って来ました。私とシュウが話をしているのを不思議そうに見て聞きます。 「あら、お知り合いの方?」と。 「ええ、古い友人です」 私はそう答えました。 「薬、飲まれたのですね?」 「ええ、忘れていましたので」 女はそう答えて、私に飲み物を差し出しました。  次の駅で、二人は降りると言いました。 「療養所があるのです」 男はそう言いました。私は頷きました。 「駅に着く前に、もう少し薬を飲んでおきましょう。少し足りてないようだ」 シュウさんはそう言い、女は「そう?」と言い洗面所に歩いて行きました。 「センターに行くのです。彼女の頭はもう壊れてしまっていて、薬ももう効きません」 「誰のベイビーなのです?」 「この国の古い物書きです。彼の本当の名前は修治。青森の田舎者ですよ、こんな字です」 シュウさんは書いた紙を私に見せました。 「昔、物書きに女がいたそうです。別れる時髪を切り、それを大切に持っていました。ずいぶんたってそれが彼女の家から見つかったそうです。彼女の母はその髪から彼女をつくって産んだそうです。修二の血が彼女には入っている」 「この国の技術には、驚く事が多いですね」 「ですが、あの通り大人になって、壊れてしまいました」 「この先どうなるのでしょう」 「たぶん自分から死ぬでしょう。父親ににて弱い、死にたがりなんです。あんなもの生まれてこなければ良かったと思いますよ」 それが女の事なのか修二の事なのか、どっちの事を言ったのかは聞きませんでした。  シャトルが駅に到着して、二人は降りていきました。別れる時シュウさんは私にお元気でと言ってくれました。 「シュウさんも」 と私は言いました。 「シュウではないですがね」 男はそう言い、女は手をふりました。 「良くなるといいですね」 「ありがとう」 女はそう言い歩いて行きました。 「行きましょう。シュウさん」  動き始めたシャトルの向こうから、女の声が聞こえました。  最終の駅で降り、私は今日の出来事をノートに書きました。  そして最後に、女の名前をそこに書きました。 「トミエ」  もちろん、それが本当の名前かどうかは、私には分かりません。恐らく、女にも分からないのでしょう。
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