純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号249 『ゴールデンタイム』  僕ね、いま起きようとするフリしているけど、でも目をつむったままどうしようか迷っているんだ。身体は自らが手塩にかけた床の暖かさを棄てきれずにいるし、心は先ほどの甘い夢の世界に未練があるようなんだ。  でも甘味というのが糖質の極端な性質を代弁しているだけでカロリーによるものじゃないというのと同じで、この夢の甘さも所詮は皮膚を通して伝わる布団の温もりが生み出した幻想に過ぎないんじゃないかと疑いはじめている。うまく言えないけど夢の本性は夢分析などといった、もっぱらウツツの世界に来てはじめて意味を持つ効能だけじゃなくて、そうした効能を多数の成果のひとつとして派生させている全生理現象のメンバーのひとつなんじゃないかという思いが強くなってきているんだ。  いいかえるとこういうことだ。  たとえばだよ、君が飯を炊こうと米びつを覗いたら穀ゾウ虫がウヨウヨいてとてもじゃないが食えたもんじゃなかったという夢を見たとするね。それはタラフク食いながらも国の食料自給率の低さを日々不安に感じていることが原因の場合もあれば、翌朝の尿検査に備えて昼・夜の食事を抜いたことで空きっ腹になっていたせいかもしれないし、夜のテレビ番組でアフリカゾウの大群の映像をたまたま見て「絶滅危惧種と聞いてたけどいるところにはいるじゃん、おーえらい勢いで食ってるわ」などとつぶやいたからかもしれない。  ことによると原因は、仮の話だよ、君は奥さんと別れて取引先で知り合った三十路手前のフリーターと一緒になろうとしているが心の奥底では新生活への一抹の不安と離れて暮らす元妻と娘への罪悪感にチクチクと胸が痛んでいることなのかも知れない。そればかりか、メタボリック退治にはじめた早朝ジョッギングの途中で疲れたので歩道脇のサツキの植え込みで座り込んでいたら生ごみの袋と間違えられてカラスの集団に襲われたことが本当の原因だということもありうるし、介護ボランティアで行った養護老人ホームの食堂で身の丈六尺二寸もあるウルトラタイプのじいちゃんに昔の恋敵と間違えられてボコボコに殴られた記憶がいま蘇っているのかも知れないんだよ。場合によっては散髪したときに首筋に残った毛先による蟻走感がそうさせたのかも知れないし、もしかしたら本当に君んちの米びつが穀ゾウ虫に占領されているとかね。もっと他の出来事や、逆に原因がはっきりしないケースだって考えられるよね。  肝心なのはそれらは対等視されるべきだということなんだ。つまり、どんな夢を見るにしたって原因は特定しきれないんだ。夢の分析結果なんて、結局ウツツの世界が何を重視してるのかで変わっちゃうってことさ。  けさ僕は君の夢を見ていた。  もうかれこれ二十年会っていないのに夢に出てくるなんてもちろん理由があってのことだろう。だけど出したのは僕であって君では断じてない。君の甥っ子に会ったからといって君の夢を見なければならない道理はないからね。  見たんだよ君の甥っ子を。一瞬、君の見え透いた姦計を疑ったよ、甥っ子まで寄越すとはどういう了見なんだってね。  仏頂面にもほどがあるスーパーのレジ係の名札を僕が見落とすとでも思ったか。百九十センチが災いしたな、バレバレだ。教えてやろうか、そもそも彼は僕の娘と小学生のころから同級でな、娘といっても血縁じゃなく養子縁組した子なんだが、この子がいい子でね、ちゃんと小・中の卒業アルバムを捨てずに持っているから、君のかわいい甥っ子の青春グラフィティはいつでも僕の膝の上に再現できるっていうことさ。中学卒業してはや五年か。身体はずっと大きくなったけど小さいときの面影はよく残している……とは参らんね、だって子供の時のほうが親父に似てるって。  そういえば思い出した、君の兄さんは子供のころからクソ真面目だったんだよな。あの日鼓笛隊の練習を休んだ君は知るまいが、急遽ピンチヒッターで指揮棒振らされた六年生の兄さんは緊張で顔面のタンパク質が固まりかけてたからな。これでマントひっかけてりゃアンパンマンだよ、そういや当時ゃまだ空飛んでなかったな。それにしても人形っぽい動きというのは笑えるもんだね。兄さんのおかげで教師も児童も早秋の午後のひと時、心ひとつになって不規則な笑いを満喫できた。ただね、口腔内を占領されている俺たちタテ笛組はたいへんだったんだよ、突然青洟噴き出して笛の穴塞いじゃったり、時折甲高くピヒッなんて五線譜に載らない音なんか出しては睨まれたりして。兄さんにはさらに贅沢を言わせてもらえれば、笑いが五分間も取れた所で、なんちゅうかもうひとつ追加でサービスがあってもよかったかななんて思ったね。指揮者だけがルートを間違えて誰もついてこないとかさ。そういう演出は楽しいよね。いややっぱりカチコチの兄さんにはむずかしかったかな。その息子はさっき仏頂面だといったけど、あれはあれで応用力のある顔つきができないだけなのかもね。  夢の中で君の魂胆を考えたよ。どうやら今度はデジタルマイクロスコープの販路開拓の話じゃないな。理科の教師なんてそんなに知らんぜよ。それとも君はとっくに人材派遣会社にでも転職していて、すでにひがみが皮膚の一部と化して加齢臭を発している中年男を実家の周辺で確保しようというのかい?  それならいいぞ大漁だ。そうか君は大学生のときから手に職があって、プログラマがスタートだったな、僕はコンピュータのこと何も知らんかったから、プログラマなんて言葉からはタイプライタをパシパシ打鍵する太った外人のおばちゃんの姿しか浮かんでこなかったもんね、ありゃキーパンチャーのことだったか。あのころから差がつき始めていたんだな。  二十年ぶりだもん、近況を話そうか。  だから結婚してるんだよ。知ってんだろ。上から娘がひとりに息子がひとり。それでもって無職、俺のことだよ、通算で七年目だ。学生時代より長いだろ。ハローワークのヤツが言うんだよ、あんたじゃもう一日八時間どんなに暴れたってせいぜい一万二千円が関の山ですなあだって、聞こえよがしにさ。どうやってもそう聞こえるんだよ。  俺ね、いまスクリプト書いているんだ。ホームページなんかを作るときに使うPHPとかJava何とかだよ。いくらにもならないがね。四十の手習い、いい年しておかしいかい。でも四十の手習いがセックスなんてヤツもいるらしいからね、それはそれでカッコいいけど。そりゃ俺の知る限りでは君はシステムエンジニアやってて、SEなんて言わてもわけ分からんだろ、スクリプトなんて中高生のやるおもちゃみたいなもんだと言うだろうけど、いまはスクリプトの時代なんだってよ。  簡単に時代というけど、こんな状況になるなんて想像もつかなかったな。  中学生のころをよく思い出すね。「タケルちゃんとは無二の親友ね」なんて母親も中年となりゃあ無垢なもんだとそのときは思った。十三歳にもなった秀才には、たまには心臓まで届く歯切れのいい単語でも投げつけてくれよとね。でもいざ自分がなってみると、やっぱり子供の友達関係なんて考えるだにメンドクサイだけだったね。だけど本人たちにはこだわらずにはいられない微妙な問題だらけなんだ。それから始まる物語なんて一個も残らないってのは大人になるまで待たなくても誰にでも分かるのにね。  そう、そりゃあ俺だって中学の時分には真の友人というものを意識したさ。  「それで君自身はどう考えているんだい」  なんてほざいて店の隅のテーブルでアールグレイを啜りながら君の返事を待ちたかったよ。返事に窮する君の心情を心の中に再現したかったよ。君のボロボロに欠けた言葉を自分なりに補修しても拒絶反応が出ないことを喜びたかったよ。そんなモノや環境が思考や言葉を作り出すんだよ、十三歳のころってのはな。でも俺はそう思ってるだけでしなかったしできなかった。なぜかって?  現実には小便とニス臭い廊下で毎日顔合わしてりゃ喋ることもなくなるからいつもヘラヘラ、タレントのギャグの手写し、同居の年寄りの名前いじめ、家業の作物いじめ──里芋や牛はバカにされる──でもしょうがないんだよ、情報の少ない田舎厨には。マジメほどの罪悪は見つけられないんだものな。もっとも俺が本当に「シンノユウジン」に憧れたのは、学校の図書室でシャーロックホームズ全集を借りて読んでホームズとワトソンの関係がかっこいいと感動していた僅かな時間だけだったがね。  俺は陰毛も友情も両方欲しかったんだ。でも夏の真っ盛りに学生帽を脱いでお互い五分刈りの頭から沸き立つ湯気を仰ぎ見れば、友情うんぬんよりも重大な、生物としての新陳代謝の結末に圧倒されるんだよ。感心しちゃったよ。俺たち丸刈りは水を飲んでは頭から蒸気を噴き出しやすいようにと中学教師が頭をひねって考えてくださったんだとね。髪の毛なんぞハサミやバリカンのひとくれで造作なく堕ちる弱い存在だもの。教師が舌なめずりするターゲットだな。他の時間には何をねぶっているのか知らんが。中学教師は男子生徒の頭皮に定規を当てて毛の長さを計った。カビの培養実験か、はたまた刈っても刈っても生えてくる怪しからん芥子の苗なのか。「おお九ミリ、ギリギリだ。この前刈ったのはいつだ?」などとありがたいご斟酌、なんども申しわけございません、また伸びてしまったのです。お前らお互いによく見張って長いと気付いたら直ちに報告せんかと生徒を励ます中学教師も、いっぽう女子生徒の何を計っていたのかは俺は女子じゃないから何も知らん。  角の生えたバイキングじゃないが、卓球の地区大会で大挙押し寄せた橋南中や橋北中やらの長髪の男子選手らに学校中の女子をさらわれていきはしまいかと本気で心配したものだよ。スマッシュを打つたびにかっこよく躍動するヒーローの前髪には在校生の運動部女子はもとより五ミリの坊主頭までがヘソの上で指組んで並んで見惚れていた。毛を剃られたら心も剃られちゃうんだよ。靴箱のスリッパの臭いまで嗅いで喜んでいた相手の女子が、そのスリッパごとお毛毛ひとふさ頭に乗せただけの角もないバイキングにパクられようとしてるのによ、坊主頭をチクチク寄せ合って白い玉の行方を追うフリをしていやがる。あ、もうお前ら一生童貞だ、ヤギとでもしてろ。角が怖いんならばだ、瓜やカップ麺にでも突っ込んでろ。こんな気持ち中学教師に分かってもらえるなんて思っちゃいないよ、だってもう十三歳なんだもん、涙もザーメンもあきらめも出ちゃうわ。俺はうっちゃってるが、中学時代の同窓会には教師らも駆けつけ、派手目のとっくりセーターにジャケット姿で射的の的よろしく上座に鎮座まし鼻を赤らめて時おり何ぞ唸っているらしい。相変わらず命知らずのお茶目な連中だ。教えてやろうひな壇の幸せな紳士淑女、死ぬのに四十発はいらんのだよ。  タケルよ幼馴染よ。俺は酔ってなんかいない、俺が飲めないのは知ってるな。ちゃんぽんでしこたま腹にブチ込んでから京子だか裕子だかが横にして迫るビール瓶の口を手の平であおいで「もう限界だよ」なんて慎ましい中学教師の百分の一も俺は飲めないのさ。俺が飲めないといったら飲めないの、強制といったら強制、把握してないといったら把握してないのさ、そこんとこがこの渋い職業センセイたちとは違うところだね。  覚えているか、三十年前の自転車旅行。新日本海フェリーで小樽に着いたとき、それを記念してクス玉が割れたかのように雨が始まったね。七月の北海道の青いお空はどこにいった。記念写真の上半分はこの色になるはずだったんだ。君が言ったように、雨雲のやつめ、小樽からの十一日間、俺たちが自転車で走る先々に付きまとっていたんだ。だって君の青に上塗りしたのは、他でもない俺のグレーなんだから。  この前グーグルマップの航空写真で見たんだけどね、あの苗穂の駅周辺がまるで都会だよ。信じられるか。苗穂、覚えているだろう、札幌の隣の田舎駅だった。夜も八時を回れば乗降客がぽつぽつで駅員が暇杖つくような寂しい駅舎だったじゃないか。だから構内のベンチで野宿できたんだ。あの晩、着いた一日目から雨にたたられて、もう帰りたいといってだだをこねていた俺の方が先に寝袋で丸まってしまい、なだめていた君の方が眠れなくて駅員と話してたと言っていたね。帰ってきてから共通の友達にトツトツ語る君が大人に見えたよ。君が赤の他人の大人とそんな話をできるなんてちょっと意外だったからな。  覚えているか、生活改善センター玄関前での泣きそうに惨めな野宿。霧と波しぶきで煙る海沿いのアスファルト。そしてはじめて見た地平線。幸福駅近くの、地平線に向かって直角に真っ直ぐ伸びる線路を見て、霧雨にかすむその先に、これからの行路ともまた違う別の目的地を見たはずなんだ。いま行ってもだめだ。何も見えない。あの十八歳にしか見えないものがあったんだ。  覚えているよ、帰りのフェリーの二等船室の毛布を俺がさっさと二枚取ったとき、みんな乗り合わせてるんだから他人のことも考えろよと君にたしなめられただろう。少し恥ずかしかったよ。子供にでも理解できるその言い回しにだ。俺たちには俺たちだけの共通語があったはずじゃないの、この十二日間は楽しくなかったのかい?  まあ君は周囲の人間の頭数に比例して公共の福祉が育っていくタイプだからな。君は協調性があって人に育てられ人を育ててゆく。あの地平線からの光は俺にも届いていたはずなのに、きっと美しいものを受け入れることができなかったんだろうな。  あれから三十年経った。  そうだよ、君はシステムエンジニアからチーフマネージャに昇り、そして仲間と一緒にソフトハウスを立ち上げた。そして俺は無職で無芸大食だ。だから家内といつも半額割引のシールの張られた食パンや惣菜ばかり探しているのさ。大金持ちになったってきっとこんなことやっているよね、なんてふたりで半笑いしながら何べんも何べんも無茶な予言をしたもんだよ。半額ゴールデンタイムは店によって違うから、時間帯が勝負だ。同業者もたくさんいるぞ。俺と家内はそいつらをタカなんて呼んでいるんだ。トンビじゃなくて鵜の目鷹の目の鷹だ。やつら賞味期限が明日限りの半額になった牛乳や豆腐や油揚げをタッチの差ですうっと横からさらっていくんだ。お互い様だがな。正直いって楽しい時間だ。半額だからふたつ買ってやっと正価だ。商品を一個万引きするような快感、もっとも俺は経験ないが。大漁日には家内の目も俺の目も子供のように輝いているんだろう。誰も怒らない、誰も笑わない、ただの商取引だ、まして誰も髪の毛の長さや色のことで文句を言ったりしない。俺はそれで幸せだったんだ。  そんなスーパーのレジに君の甥っ子が現れてからはや二ヶ月だ。俺は逃げ回っていたわけじゃない。断じて言うぞ。偶然きゃつのレジに入らなかっただけだよ。仏頂面も薄笑いも百九十センチも怖くないね、ただ無理して選ぶこともないからね。  でも来るときは来るんだ。レジ脇のマレーシア産のクラッカーをいそいそとカートに入れて顔を見上げたら、いたんだよ。大男が腹の上で両腕をVの字組んで向かいのレジ打ちの女の子の後頭部をぼーっと眺めてる。買い物かごはタカ物だらけだが、仕方がない入るか。「いらっしゃいませ」挨拶は意外に小声だが。  慣れた手つきでバーコードでピッピッってやりながら「百九十八円半額う、百四十八円半額う」なんて俺の頭頂部より高くにある口元から大声で読み上げるから、俺だって胃のあたりが熱くなったよ。半額の客だって客だろ、おりゃあ人件費だって半額なんだよ、働きゃあ社会に立派に貢献できるんだよ、でかい声で半額半額言うんじゃねえ、ってなんともいえない恥のチャンコ汁みたいなもんが胃の中に湧き出てきて、でも火照っていると前後の客に恥ずかしいから平然を装って彼にこう言ってやったよ。 「ねえ叔父さんのタケル君はどうしたの、タケル君だよほら君の叔父さんの、そう、いまどこに住んでんの、へえそうなのやっぱり岐阜う。盆正は帰るんだろ。で、もしこんどの正月にでも会ったらさ、会うだろ? うん正月。ちっとも顔見せてくれないじゃんってフンガイしてたと言っといてよ、また昔みたいにバカ騒ぎしようって。あ俺? アイカワって言ってくれたら分かるから、頼んだよ」って言ってやったところで、どうせバイトが終わって友達のアパートに寄り道すりゃ朝までビールとDS祭りで、そんなもん海馬のどこにも残っちゃいないから心配いらない。  仮にきゃつがお客さまご意見カードに俺の伝言を律儀にメモして次の正月に君に渡したとしても、君の方でも、内容そのままに受け取るような青臭い年でもないし、なにより君の中の常識に期待してるよ。  本当は知っているんだろう、俺は貯金を毎年三百万ずつ食いつぶして七年目、四十八歳年男の不完全引きこもり、全体主義が嫌いで、キリスト教が嫌いで、洗脳が怖くて、協調性などかけらもない。見栄など張らない、着るモノなど買わない、消費など愚か者の仕業だ、商品などみなゴミだ、働いたら負け、買ったら負け、貯めたら負け、部落差別は農民が育てた、派遣差別にほくそえむ正社員なんてバカじゃないか本当はお前らの労働強化がターゲットなのに、宝くじなどバカの買い物、家を買うな土地を買え、ダイヤを買うな金を買え、投資信託を買うな株を買え、商品の快感の裏にぎっしり詰まった搾取虫はほじくり出さないか、だいたい自動車なんぞ納車の時と廃車の時でモノとして見たら九十九パーセント何も変わってないんだぞ、家が資産だなんて誰が言ったんだとんでもない負債なんだぞありゃと誰かが書いてたぞ、ああそうやって企業の言いなりになっていくバカ者ども、おりゃあ数学ができたんだ、知能指数だって高かったんだ、毎月読んだ本の厚みは背の高さを超えてたんだ、あの子はきっと俺のこと好きだったし俺もそうだった、ちくしょう何でこんな世の中、成功なんかしてやるもんか、正直もんがバカを見る、もとい正直もんがバカに見える、どいつもこいつも嘘つきばっかり、偽装ばっかり、騙されてばっかり。  そうして僕の預金残高と勤労意欲と楽天主義は日増しに磨り減っていった。  だからすまないけど、ドアをノックするのは明け方にしてくれないか。下弦の月が昇るころ。その音をオカズにしてまたいい夢を見つけるからさ。  もとい。  僕は何という寂しい夢を見ていたんだろう。朝日が透明になってきた。地平線からのあの光だ。ノックの音が力強い。布団は依然あたたかいが、でもいま起きるよ。  了
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