純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号239 『この街は僕のもの』  放課後、黄昏の教室。こう言うと響きがいいけれど、そこは授業が終わっても居場所がなく家にも帰りたくない半端者の集落だった。 窓辺に腰掛け、夕暮れに向かって僕は紙飛行機を飛ばした。手を離れて少ししたら風に蹴落とされて簡単に地に落ちた。九十点の答案用紙という素晴らしい材質で作ったのに少々残念である。 「誰かが拾って見てしまうよ。いいの?」 「いいよ」  キンちゃんが隣にいた。僕とキンちゃんは部活に入っていなかった。僕らはいつも生気のない目をしていたように思える。アルバイトも許されていない狭い田舎町の小さな高校。部活に入っていないと、まるでなぜ生きているのか分からなかった。いつも劣等感と優越感に挟まれながら校舎を歩いていた。緩やかで深い呼吸ができず、いつも俯き加減で歩いていた。  校庭を汗かき走る運動部の姿を見下ろしていると、針の付いた玉のようなものが恒例のように背中の肌とシャツの合間でちくちくした。なんだか嫌になってきて僕は早々に教室を出た。キンちゃんも慌ててそれについていく。キンちゃんというのはあだ名で、いつも僕にくっついていて金魚のクソみたいだからと、クラスの誰かがつけたあだ名である。キンちゃんの本当の名前を知らないし知る必要もないと思う。彼は愚鈍で馬鹿で奥行きのある思考ができない。そう僕は決めつけている。どうしてこの高校に入ることができたのかという疑問をたまに考えたりする。いくら金魚のクソといえどもクソはやがて千切れるのが常道である。僕はこいつとセットで数えられるのを勿論好んでいない。  何より僕はキンちゃんの、へらへらとして何も恨まず怒らず奮わず、そして考えずの表情が苛立って仕方がなかった。  夕陽が眩しくて、僕は睨んでいるような顔で帰り道を歩いた。  そのまま横を向くとキンちゃんが馬鹿みたいな顔をして、「なに怒ってるの?」と訊くから、「怒ってねえよ」と呟いた。彼は「怒ってるじゃん!」と笑う。からからとした苛立つその声をかき消すものは、電車の滑る音で、一日の終わりを感じた。  電車が通り過ぎると駅のホームの先端が見えた。まだ踏切は上がらない。そこでは同い年程であろう女の子のスカートが、会話をしている彼女の大げさな挙動と共にさらさら揺れるのであった。僕達の後方にはまた別の女子高生のグループがあって、その会話とホームに立つ彼女の口元がシンクロしているような気がして面白い。 ――夏休みには、旅行に行くんだ。  ホームに立ってる女の子はそう言った。踏切があがる。後ろにいた女子高生達は僕を抜かしてオレンジの景色へ溶け込んで行った。  キンちゃんの方を向いたらまるで僕と彼はその橙を構成するための暗い褐色なのであり、俄然楽しそうに話を続ける女の子だけが夕暮れの街から浮き出た、黒い髪と、白い制服と、赤いリボンだった。そういうことは、たまにある。 「何、ぼおっとしているの?」 「旅行に行くんだってさ、いいね」 「誰が?」 「俺達も旅に出ようか」 「いいね!」 キンちゃんが調子よく相槌を打つけれどそれに同調する気は全くなかった。 「どこに行くの? 旅行に行くんなら夏休みまでバイトしなきゃね! 温泉とか行く?」 「そういうのじゃないさ。ねえ、スタンドバイミーって映画知ってるだろ」 「んー! 知ってる!」 口から唾を出して興奮するキンちゃんを尻目に僕は線路の方へ少しだけ近づいた。道の端の枝切れを手にとってなるべく自己陶酔を看取されないように言ってみた。 「この線路をずーっとつたって、歩いて行くんだ。知らない、見たこともない景色や、街が広がってるかもしれない」 「ああ! 楽しそう!」 「だろう、じゃあ、行こう」 そう言いつつも、僕とキンちゃんの体がそこから動くはずがなかった。烏が泣いている。人と物が喋って動いて流れている。  僕はキンちゃんの、常時50メートルバタフライをしているくらい泳いでる瞳に、視線を合わせたり、合わせなかったり、幾何かの感情と主張を含めて見つめたり、何やら呆れた素振りをしてみたりした。キンちゃんは猫背のまま立ち尽くして、僕の大嫌いなへらへらした顔をして、僕の次の言葉を待っていた。だから、口を開いた。 「行こうよ」 「……」 「行こうぜ」 「…………」  キンちゃんは何も言わずずっと立っていた。ただ言葉を待っていたのではなく彼はきっと分かっていたのだ。この線路をずっと行っても、知り尽くした街や景色しか広がっていなくて、ましてや、死体なんて、埋まってないって。僕は、彼の頭を思いっきり殴った。彼は、小さく唸って、それでもへらへら笑って、ちょっとめんどくさそうだった。  今住んでいるこの街がいつにもまして狭くなってしまった気がして、泣きたくなって、悲しくなって、またキンちゃんをぶん殴った。あの山も、あの店も、あの電線の一本一本まで、僕のモノのような気がするけれど、要らなかった。息苦しくなって、踏切を越えて、コンビニでジュースを買った。キンちゃんにもお詫びとして買ってあげた。彼は全て開き直ったような顔でへらへらして、「ありがとう!」と言った。   <了>
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