純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号217
『思いつきの何処かの一場面、三つ。』
私は朝、庭でトカゲを見つけた。昼にも、見つけた。そして今、また見つけた。
トカゲは雑草の生い茂る草むらから、こずるく顔を覗かせて私をジトッと見た。その尖った眼差しは、私を釘で刺したように、立ち止まらせた。トカゲの眼球は、潤った表面が煌めいて、天の川のように輪を走らせ、瞳の中には小宇宙が閉じ込められていた。顔の鱗がそれに呼応して、ふるえだしそうであった。私は体が強張った。
そうして、トカゲと私の視線は、目に見えない透明な結合をつくりはじめた。空の茜色が庭にただよっていて、時間がよじれた。
私は瞬きをしていなかった。ふと、気が付くと、私はトカゲの瞳の中にいた。小宇宙のなかにいたのだ。
私はちょうど、夜に空を仰ぎ見て、小さな星々を眼の中に落とし入れるようにして、目を凝らした。輝く銀河で出来た天の川が広がっていた。
「ああ、なんて美しいのだ」と私は呟いた。すると「ええ、ええ、そうでしょう。朝、あなたに御会いした時からずっと御見せしたかったのです!」と、トカゲの返事が聞こえた。いや、聞こえたという、表現は可笑しいかもしれない。言葉を聞いたというよりも概念的なもので、ある種のテレパシーじみたものだった。
私は嬉しいのと同時に、不思議に思った。そして「朝と昼にいたのも、あなただったのですね。嬉しいです。とても心地いいです。」と答えた。もう一度トカゲがやさしく何か言った。しかし、煙のようにすうっと消えてしまって、私には何と言ったのか分からなかった。
「なんですか。なんと、おっしゃいましたか?」と私は言ったが、既に、元の庭に戻っていた。茜色の空に鳩の声が響きはじめた。私の眼にはまだ、天の川が残っていた。
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腕をまわしてきた。そして、彼女のほんのりと紅潮した、ほそい人差し指が、小動物のように私の脇腹を滑ってきた。その、ある一定の秩序だった運動に私は過去に感じたことの無いほどの、艶めかしさが見えた。顔が火照った。
「ねえ、きょう泊まっていかない?」と彼女が呟いた。顔が動いたことで髪のつやが目立った。彼女の眼は私の鼻を凝視しているようである。
「どうだろう。・・だいたい、今何時だい?」と私は返した。彼女は、自分の白い腕を、付属品のように私の腰まわりに巻きつけたまま、後ろを振り向いて時計を見遣り「八時」と言った。甘いにおいがした。
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ああ、何ということだ。
私は気が動転してしまって、蝉の声が煩く反響している正午の縁側へ出た。池のみなもが、太陽のまばゆい顔をたたえて神々しい光を発し、辺りの景色と溶け合って、出来の悪い油絵のように見えた。
私は頭が朦朧とし、それがまた、異常な暑さの外気温と重なり、一層、具合が悪くなった。さっきまでの、うっすらと背中や首筋や腋の下にあった汗の滴が急に息を吹き返して流れだし、私に新種の地獄ような感覚を与え始めた。
足音。すると後からすぐに、浮子が来て「あなた、お客様はもうお帰りになりましたよ」と言って、柔らかく縁側におりてくる。私はただ「ああ。そうか」と言って、池の淵に足を置いて、それからすぐ、思いついたように「蝉が煩いですね」と続けた。
浮子は「そうね」と答えた。彼女には暑さが無いようであった。