純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号212
『理由』
私は、かつていじめられていた人だった。
理由は、私がクラス一怖くて暴力的な女子に、刃向かったことだった。
小学五年生のころ、無口で気弱だった親友を守るために。
それから一年間、五年全員からシカトされたり、靴を隠されたり、教科書に落書きされたり…ひどいものだった。
六年生になって、その子が転校するまでは…
***
「…嫌い」
「え?」
私が何気なく言った一言に、隼人はびっくりしてこっちを見た。
ちょっと心配そうな顔をしている。あ、当たり前か。
「あ、あの、ごめん。別に、隼人のことじゃないよ…」
「ならいいけど」
そう言って、隼人はまた前を向いて歩く。
私はうつむく。
篠田隼人と、松野優香は付き合っている。その事実はずいぶん前に解明された。
中一の冬休み、隼人は電話で私に告白した。『付き合ってほしい』と。
最初、私は混乱した。だって、隼人は、私が一目見たときから恋焦がれた人だったから。
隼人とは中学生になって、初めて知り合った。
綺麗な顔をしていて、クラスの中ではどこか浮いていた。何より、女子に大人気だった。理由はふたつ。まず、ルックスが他の男子と比較にならないほどよかったから。もうひとつは、一緒に居て楽しいから。彼はいつも楽しい話をする。本当に、いつもいつも。よく話が尽きないなあと思うほどだ。
それに、勉強も運動もできて、ピアノも弾ける。コンクールではいつも上位らしい。
おとなしくて無愛想で引っ込み思案で、勉強平凡、運動音痴、ねこふんじゃったも弾けない私とは、まるで正反対の人。
そんな彼がどうして私を選んだのか―――よくわからない。
よくわからないのだが、結果オーライならそれでいい。私は今、彼とデートをしている。
信じられない。この前まで遠くで見ているだけの存在が、今、手を伸ばせば届くところにいる。
嬉しい。嬉しい。本当に、嬉しい。
――――だけど、少し心は痛んでいる。だってこの人は、私が五年生の時からの親友・綾女の好きな人なんだから。
綾女にこのことを伝えると、綾女は何も言わなかった。それからは、いつもと同じように接してくる。何も言わなかったけど、それはそれで悲しかったに違いない。
それでも同じように接してくれる綾女。嬉しいんだけど、最近妙に嫌になってきた。
考えると昔からそうだ。綾女はいつも私のあとをついてくる。何も言わずに、黙って。
私がやりたいと思った係に、必ず一緒に手をあげる。打合せも何もしていないはずなのに。それに、私がいないと何もしない。出来ないんじゃなくて。
…いつもまとわりついてくる。私の真似をいつもする。私が一生懸命努力して切り開いた道を、後から何の苦労もなしについてくる。もういやだった。
中学二年生の夏休みのこの日。私は思い切ってそれを隼人に相談した。
「…どう、思う? 隼人は」
「…」
カフェ・ラテを飲みながら、私は隼人の返事を待った。十秒くらいの間をおいて、隼人は答えた。
「贅沢」
その二文字だけだった。他は何も言わない。
「え、贅沢?」
「うん」
そう言って、私が机に置いたカフェ・ラテを手に取り、飲む。
「…私のなんだけど」
ぼそっと呟くも意味なし。隼人は飲み干してしまった。
そしてため息をひとつつくと、じっとカフェ・ラテを見つめる私を、不思議そうな顔で見返す。
「どしたの?」
「別に!」
ぷいっと怒ってそっぽを向く。もう、カフェ・ラテ私の大好物なのに…。
「…優香、君は今抱えている悩みは贅沢な悩みだ。だって、そこまでして彼女は君と一緒に居たいんだろう?」
「それは、そうかもしれないけど…」
「自分の後をついてきてくれる人がいるって、とても嬉しいことだとは思わない?」
…嬉しいんだろうか。そりゃ、企業の社長さんとかは、自分の後を社員たちが付いてきてくれるのって、嬉しいと思う。でも、私は企業の社長さんじゃないし、それに…。
「物理的には嬉しくないかも」
だった。言葉のなかでついてこられるのは嬉しいけど、実際に後をちょろちょろされると、うざったい。
「…そっか。でも、俺は嬉しかったよ。さっき、優香が俺の後を黙ってついてきてくれたこと」
その言葉に、さっきの風景が脳裏をよぎった。思えば、私は何も言わずに隼人の後をついていた。
「それは、優香が俺のことを信用してくれてるとか…思ってたから?」
漫画とかドラマなら、このシーンでは普通「うん」と答えるだろう。でも、ここは現実の、リアルな世界。私ははっきりと、
「ううん」
と言ってしまった。
それだけでは後味悪いので、慌てて付け足した。
「ただ、なんとなく…」
「それと同じだよ」
「えっ…」
私は隼人の目をまっすぐと見た。汚れの無い瞳を見せ、彼は言った。
「彼女はきっと、なんとなく、ついてきてるんだよ。理由なんてなくてね。でも、しいていうなら、この人と離れたくないから…かな?」
首をかしげて言う。さっきまでの自分のことを思い出して、なんだか恥ずかしくなってきた。
同時に、綾女のことを考えた。綾女は、私に“なんとなく”ついてきているんだろうか。
私の努力の道の後を、楽していくためにとかそういうんじゃなくて、ただ、理由もなしに…。
『ひとつも取りえなんてない私に、ただ黙ってついてきてくれるんだ』という感情と、『理由もなしに黙ってついてくるなんて…うざい』という感情が、私の心の中で静かに渦巻いていた。