純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号192 『一葉の灯』  其れは季節がくると、金色に輝いた。  太陽を受けて煌めく其の中で、私は何度も笑い、何度か泣いた。  空気が冷たい。上まで登って改めてそう感じる。 校舎裏の片隅。プールサイドにせり出すように生えた、一本の木。その上が、小学校当時、休み時間における私の所定位置だった。  表面の手触りはゴツゴツと堅いが、節目はなく、幹は真直ぐ天に伸びている。一昨日より昨日、昨日より今日と気温が下がるこの季節。ザラついた表面はひんやりと手に吸いつくが、枝葉の生い茂る辺りまで登れば、自然と温かくなった。  視線を下ろせば、今年の役目を終えたプールの水が、濡れ雑巾で拭いたばかりの黒板のみたいな色でヌラリと光っている。飼育小屋を物欲しそうに見つめたカラスたちが、企み顔でたむろする屋上の床は排気ガスで汚れて灰色だ。  けれど私達は、夏になればプールの中から飛び立ち、虫取りを賑わせてくれるヤゴが今まさに水中で育っているのを知っているし、冬にお腹を空かせて泣くカラスの子が居ることも、巣を突いて知っているし、春になれば屋上のアスファルトの間から芽吹くタンポポがあることも、授業で上がった時こっそり種をまいたのだから知っている。今、この手が空に届かないのも、空が高い季節だからだと、季節が廻ればいつかは掴めると、知っている。    そう、あの頃は、どんな所にも希望が見いだせた。だというのに。  私は、十年ぶりくらいに其処を訪れた。あの木にはもう、触れることすら叶わなかった。  切り倒されていなかったのは重畳だろう。しかし、校舎裏なんて悪戯のメッカだからだろうか。比較的新しいフェンスで区切られ、裏庭に入ることはどうも難しそうだ。図体のでかい最早関係者でも何でもない私がガシャガシャ乗り越えたら、しかもウッカリ人に見られたら、恐らく、悪戯扱いでは済むまい。そんな常識だか良識だかの判断がつく位には、大人になっていた。いや・・・世間磨れしていた。  その木はシーズンになると、独特の、癖のある匂いを発する実を付けた。さくらんぼのような形状のそれは、臭気ゆえ一般には不人気だが、私は気にならなかった。  ガキ大将に上から投げつけてやったり、まだ青い実を割って中身を確かめてみたりして遊んだ。他にも、立ち小便していた男友達を木の上からからかったり、伝説の剣と名付けた棒切れを木の中腹に隠して、自分達の基地を守ったりした。  自分達。そう、あの時、傍らには親友が居た。一緒にはしゃいで、夢を語り合ったりした。この木は二人の秘密基地で、城だった。  クラスメイトに出っ歯をからかわれ、半泣きになって逃げ込んだ時。遅れて登って来た親友は、反対側の枝に座って、慰めてくれた。先生に怒られて拗ねていた時、一緒にブウブウ愚痴って、先生のとびきり面白いあだ名を考えたりした。好きな子とどうしたら結婚できるか、なんて事も割と本気で相談し合った気がする。  からかってきたクラスメイトには弱点の蛙をおみまいした。先生を怒らせようとあだ名で呼んだら、愉快そうに笑われた。好きな子には結局二人してそれぞれ振られた。  何でも全力で、どれも遊びで、目標はいつも身近で、気持ち一つで誰より偉くなれた。面白ければ笑い、楽しいから笑った。嬉しいから会い、信じているから話した。腹が立てば喧嘩した。悲しければ泣いて、甘えた。  アイツは今、どんな大人になっているだろうか。   あの頃に帰りたい、なんて思わない。今振り返ると、すごくすごく下らないアレコレも、当時の私には、どうしようもなく深刻だったから。そんな気持ちさえ、今はただただ懐かしいけれど。  今の私は、全力になれるものを探し、どれも半端で、目標は曖昧で、自分より偉い人に囲まれて気持ちは無力感で凹みっぱなしだ。面白くなくて鼻で笑い、楽しくないのに愛想で笑う。何が嬉しくて会うのか分からず人と付き合い、信じて欲しいから自分を格好良く嘯く。腹が立っても、何もしない。コトナカレコトナカレと呪文を唱え、脳天を貫いていく怒りをやり過ごす。悲しくても弱みは見せず、甘ちゃんと侮られないよう背筋を伸ばす。  あの頃アイツと語った夢はもう思い出せない。でも、こんなではなかったと言い切れる。  今の私は悔しくて。過去は後悔の渦で淀んでいる。    でも。  でも、或いは十年後。  私は、今の私を振り返り、微笑むのだろうか。  こんな風に。 ヒラヒラと木の葉が舞う。金色の絨毯に、スックとあの木が立っている。伸ばしてもその幹にもう手は届かないけれど、足元には風の具合で降り散り、飛ばされて来たのであろう金色がチラホラと積もっている。  その中から、比較的きれいな一枚の葉を摘み上げ、胸ポケットに入れた。  きっとこれからも、私は過去を振り返る。そして悔やんで悶えるかもしれない。けれど、その度、熱く輝くのだ。あるのかないのか、覚束ない積量しか持たないこの一枚が。 過去に輝く、未来への導べ・・・希望の灯として。
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