純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号148
『光のお伽絵』
夫はシャワーを浴びている。こっそり、携帯をチェックした。やはり……。
母に勧められた結婚、どうして言いなりになってしまったんだろう。
タクミの顔が浮かんでくる。タクミはどうしているだろう。無性に逢いたかった。
最後の夜は横浜で待ち合わせ、ふたりでホテルに泊ることにした。
部屋へ入ると、ガラスの向こうのイルミネーションが目に飛びこんでくる。窓のそばまで駆け寄った。
「見ろよ!」
「きれい……」
夜空の下で絢爛ときらめく、宝飾のような光のお伽絵――そこにあるはずの猥雑なものはすべて闇に覆い隠され、まるで、ルビー、サファイア、ダイアモンド、きらきらまたたく数知れない灯りが街の輪郭だけを上からなぞり、みごとなまでに麗しく点描している。
「ウェルカムドリンクがある!」
彼はコルクを抜き壁ぎわの机にワインを用意してから、ベッドサイドにあるBGMのスィッチを入れた。
「先にシャワー使うよ」
私は窓辺でひとりになる。
極彩色に輝く観覧車、高く聳える巨大な電飾のロゼットが放射状に変化していく。まるで落石の波紋が水面を伝わり、ぱあっと広がっていくように。
さざ波は私の胸にも寄せてくる。いつどんなふうに切りだそう、心のうちをさぐってみても、どこにも言葉はみつからない。そのもどかしさから助けだしてほしいだけなのかもしれなかった。
切なげな曲が流れてくる、どうしても燃えやまず、闇の底で赤い炎がかぼそく光っているように。そのギターの音は、純粋な悲しみだけを抽出したように澄み切って、心に響き渡り、私は目のまえの夜景に引きこまれていきそうになる。
「バスルーム空いたよ」
「ねえ、なんだか心にしみてくるような曲ね」
「確か、哀愁のヨーロッパ、サンタナだったかな」
次の曲が掛かる。たぶんかなり古い歌だった。私もシャワーを浴びることにする。
そのあとビールを飲んでから、ボルドーレッドを湛える二杯のグラスを夜景の正面にセッティングして、窓辺の椅子に腰を下ろした。タクミも来てワインを手に取り、立ったまま外を眺めはじめる。
「となりに座らない?」
「観覧車のライト、花火みたいだな」
そこで言葉を切り、グラスを置いて、タクミは静かにカーテンを閉じていった。
「きれいだけど、それよりも……」
タクミは私の上へかがみこむ。また古い曲が響いてくる。ママの好きなミッシェル・ポルナレフ、英語で歌うホリデーだけがやけにくっきりリフレインされている。ほんの僅かだけ向きを変えながら、すぐそこまで、けだるげな顔が降りてくる。つうんと高くまで抜ける清らかな声が流れている、まるで白い光の中へ飛翔していくように。
ぐるんと舌が絡まり、すうっと吸い込まれる。フランス語が霞み、幻聴のように遠い音になっていった。
電話をかけてみた。呼び出し音が聞こえ始める。