純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号133 『家族の土手』  私は土手を通る。  幼稚園に行くときも小学校に行くときも中学校に行くときも。高校に行くときもそして勤め先に行くときもこの土手を通った。学校に行きたくない日は、ここで時間を持て余して自分に酔った。何かから裏切られ傷ついた日は涙を川に流した。  土手は際限ないかのようにゆったりと広がっていた。土手は色んな人々の感情をその原に浮かべた。私の母は毎日土手で呆けている。私の母は頭を男のように短く切り揃え、下はスラックスを穿き上はシャツにネクタイをしっかり締めている。私の父は去年死んだ。私の母はそれからずっとこんな調子である。 「やめてくれよ」  散歩から帰ってくる母に入り口で言葉を浴びせるのは、いつも弟の信治であった。信治は父が死んで家にひきこもるようになってしまった。大学を出て会社に入ったは良いが、すぐに辞めてしまったのである。それでも父が死ぬ前はハローワークに足繁く通っていたようだが、それすらも行わなくなってしまった。今は私の作るご飯で生きている。母は家事を放棄してしまった。朝食と夕食は私が準備している。母と弟は私の給料の数割を分けてそれで暮らしている。私は結婚していない。私がここからいなくなったら家は崩れてしまうし、まあ、相手もいない。別に憤ってもないし焦ってもないけれど、最近は運命だとか諦めだとか大層な言葉ばかりが頭の中を舞う。 「ねぇちゃん。今日の夕飯は?」 「ひじきの煮つけとレバニラ炒めだよ」 「ふうん」  信治が茶の間に目を向ける。彼はまた母の行動に難癖をつける。  母は知らんぷりを通す。化粧をしない彼女のしかめ面は皺とたるみが目立って老いを感じさせる。 「お母さん。あぐらをかいて新聞を読むのはやめてくれないか」 重たく鈍い破裂音がした。母は屁で返事をした。 「あー、もう!!」  私は野菜を切りながらいつもぼんやりと考えている。母は主婦を棄てたのか、女を棄てたのか、羞恥を棄てたのか、それとも他の何かを棄てたのか。その全てを棄てたのかもしれないし、実は何も棄ててないのかもしれない。逆に何かを得ようとしているのかもしれぬ。 「お母さん、今日も天気が良かったね」 「そうね。けど明日から少し曇りが続くそうだわ」  母の語り口は父の生前と同じようにいつまでも優しい。彼女は別に何かを演じようとしたり何かの替わりになったりしている気ではさらさらない。私は母のそういった根本的な柔らかさと優しさが喪失しない限り、外郭の変化は気にならなかった。さほど。  信治が母の脇にむんずと座り込みぴんと膝に手をつく。ひきこもり生活で伸び放題の野暮ったい前髪を掻きながら母に問う。 「母さん、母さんはなんだってそんな恰好をするんだ。母さんが近所でなんて呼ばれてるか分かるかい。オッサンババアって呼ばれてるんだ」 「ノブちゃんは家にひきこもりっきりなのになんでそんなこと知ってるの」 母は優しく返す。私が台所から「私が耳にしたのを喋っちゃったのよ、ごめんね」と言葉を添える。 「そう」 それきり台所に二人の声は聞こえてこない。 静かに母が新聞をめくる姿と、信治の悔しそうな顔が浮かんだ。  明日の朝食の下ごしらえをし、家に持ち帰った仕事を済ませ、風呂も終わった。二階の信治の部屋からは煩い音楽が漏れている。茶の間は灯りがまだ付いていた。きっと母が起きているのだ。 「おかーさん」 「静じゃない」 テーブルにはウイスキーが置かれていた。父は焼酎や日本酒よりもこれが好きだった。 「これ辛いわよね。ちっとも美味しくない」 「あはは。お父さんはそう飲んでなかったでしょ?」 「飲み方ってのがあるのよ」 私は冷蔵庫から氷と、そして信治がいつも飲んでいる炭酸のジュースをとった。それでウイスキーを割って母に出した。父が愛用していたコップで。 「美味しい」 「そう?」 「ファンタの味がするわ」 「お父さんはいつもただの冷たい水で割ってたわ」 「静はお父さんをよく観察していたのね」  そんなことない。思春期の頃はできるだけ目に入らないように過ごしてきた。  私と信治には思春期や反抗期というものがきっちりと来ていて、その苛立ちの矛先をしっかりきっちりと父に向けていたように思う。それでも父は相手にしないような素振りでただひたすらに平常の生活を続けた。それがますます私達姉弟を苛立たせていた。父は仕事一辺倒の人間だった。典型的な昔の人間という頑固さで私と信治は色んな欲求を最初から諦めていた。クリスマスのプレゼントだとか。そんな姉弟も意地を張ったときがあった。それぞれの大学受験のときである。もう、遠い遠いことのように思える。 「こうしてお父さんが好きだった酒を飲んでみるけどちっとも酔わないわ。どうしてかしらね」 よく見ると母自身は日本酒のオチョコでウイスキーを飲んでいるのだった。私は笑って言う。 「ウイスキーは強いと思うけどこれで飲んじゃあねえ。別にお母さんは酒に弱いわけじゃないし」 「そうねえ」 母も笑う。私は母の朗らかな笑顔が大好きである。髪の毛を短く切り揃えても表情は変わるはずがなかった。しかし母は父が生きている頃からずっと何かを諦めたような感じを持っていたし、今はもちろん…… どこか寂しさを背負っている。 人は年をとるにつれて余計なものを帯びたり背負ったり埋め込まれたりしてしまう。父は体中の穴にクダを突っ込まれて延命した末に死んだ。 「お母さんは寝るわ。静も寝なさいね」 「うん」 「いつもご飯ありがとうね。お母さんはなんか駄目になっちゃってネ」 「いーよ」 駄目になんかなっていない。母が男の格好になりオッサンババアと呼ばれても母は私の母なのだ。  ある平日、私は休みをとった。信治の言うところによると、母は最近土手への散歩ではなく明らかにどこか目的地があってそこと家を往復しているのだという。それを尾行して欲しいというのだ。お前が行けと一蹴したいところだが、私も父が死んで以来なんとなく頭が日和っている。いつもよりちょっと遅く起きて、台所に立っていると、信治がのそのそとやって来た。 「何やってんの」 「お母さんとお昼に食べる弁当をね、作っているの」 「尾行の意味がないじゃないか」 「尾行なんてする必要ないよ。一緒に散歩に行くから」  信治は拗ねた顔をして茶の間にテレビを観に行った。信治の表情は分かりやすくていつまでも子供の頃と変わらぬ。それが姉にとっては可愛くもあり不安なところだ。あいつは乳離れしたと思いきや仕事を辞めてまた乳を欲するようになった。勿論、精神的な話である。母が男の格好をしたことによって乳の喪失を感じ焦っているのだ。社会的自立を果たせない者にやはり精神的自立は果たせないか。  弁当を拵え、化粧と着替えを済ませ、私も茶の間に行って母が外出するのを待った。しばらくして母が玄関先に向かう。 「お母さん、今日は私もついてっていい?」 「おしごとは?」 「休みなの。じゃあ、行こう」 戸を開けた。眩い晴れ間の光が全身を突き刺した。隣には母がいて私はなんだか幼少の出かける時に感じる高揚を思い出した――。  土手に沿って歩く。私は久しぶりに母と二人きりになれたので、まるで子供のように質問を繰り返す。 「お母さんってなんでお父さんと結婚したの?」 「そうね。とっても素敵な人だったから」 「具体的に教えてちょうだいよ。参考にする」 「やるべきことをいつどのようにやればいいかが分かっていたわ。論より行動の人だった のだからお母さんも毎日お父さんのためにご飯も作ったしシャツを洗ったよ。お父さんの背中ほど頼もしいものはないわ」 今、母は父のシャツを着ている。 母の背中は丸い、小さい、まるでか弱い。そこに背負っていたものを母も感じ取ろうとしているのか。私にはよく分からない。信治は躍起になっているが、私はびっくりするほど母が男装していることの理由に関心がない。 母は母なのであって、それは中々の永久不変である。 「じゃあお父さんはなんでお母さんと結婚したのかなっ」 「どうしてかしらね」 「お母さんはね、若いころ美人だったからね。引っかかった男の一人だったんじゃないかしら」 なんてロマンと情愛を感じる台詞。まるで男の頭と格好をした人が言うものではない。 それでも母がにこりと笑う口元には優しさと美しさの素体を感じずにはいられぬ。信治が求めているようなその感じだ。  土手を通って街へ、そこからバスで二つ向こうの駅へ。私は何処へ向かっているのか見当もつかない。 「バスを使うんだね」 「そうなの。だから毎日はちょっと行き辛いわ。できれば毎日行きたいんだけど」 「定期、買ってあげようか」  にこりとした横顔は 別にいいわよ と言っている気がする。  そしてバスが着いた。私達は降りてまた少し歩く。ちょっと街並みがビジネスライクになる。ビルはそこら中を陰で覆っている。 「ここよ」 とあるビルの前で母は止まった。母が言うにはこのビルの商事で父は働いていたのだそうだ。私は父と二十数年間を過ごしてきたが、父の働いている場所が具体的にどこにあるということを知らなかった。不思議なものだ。母は横断歩道を渡り、道路を挟んでビルをずっと眺めていた。ひたすら眺めている。私は堪らず母に尋ねる。 「何を考えているの?」 「別にこれといって。ここでお父さんが働いていたんだなぁってことを、ひたすら頭の中でぼんやり繰り返しているの」 なるほど、そういうものもあるなと、私もただぼんやりした。しかし、ビルを出入りする人達に目を下ろすと、とあることを考えずにはいられない。彼らにも一つずつの家の灯りがあって、彼らがここで摩耗しているのはそれを守るためというのが主要な目的だということだ。そのためだけに生きていかねばならぬ気持ちとはどのようなものだろう。諦めがあるのか、それでも生きていこうとする覚悟があるのか、子は可愛くて、伴侶は尊いか……。  考えていると腹が減る。太陽も知らぬ間に上がりきった。私は依然ぼんやりとする母に話しかけた。 「お母さん、お昼にしよう。私ね、お弁当作ってきたんだ」 「バスの窓から公園が見えたよ。ここからすぐ近く。行こう」  公園はやはり土地柄でサラリーマンが新聞などを広げながらコンビニ弁当などを食べていた。鳩が群がり暇な誰かはそれに餌を与える。私達はベンチに座って昼食をとることにした。母と弁当を食べるなんて本当に久しぶりだ。小学校の運動会以来かもしれない。  母が美味しそうに私の料理を食べてくれる。口の中にものを入れて喋る。 「料理、うまくなったわよね」 「そう? 嬉しいな。でもお母さんの料理もたまには食べたいの」 「静は確か、だし巻き卵が好きだったよね」 「信治だって好きだよ。あれはお母さんの得意料理だよ」 「信治の高校は学食がないから弁当を高校まで作って持たせてあげたわ」 普通の会話に紛れて、私はなんとなく聞いてみたくなった。さっきまで無関心だったくせに。 「ねえ、どうしてお母さんはそんな格好――」 言葉を遮るように「奥さん!」という声が私達を掴んだ。そのうち母だけが反応して立ち上がって軽く眼前の会社員におじぎをする。たじろいだが私も座りながらちょっと会釈をした。会社員は青いハンカチで額の汗を拭きながらしゃべり始める。 「髪が短くてもわかりましたよ。一時期は頻繁にお世話になりましたからね。もうすぐ一年ですかな。ははは」 「久しぶりですね、青木さん! ご主人がお世話になりまして……」 どうやら会社の同僚である。父は時々酔った同僚を自分の家へ上がりこませてよく母に介抱させた。とはいってもそれは毎度私と信治が寝床に着いたあとの話であり、私は青木さんのことを夫婦の雑談では何度か耳にしたものの、姿を見たのは今日が初めてだった。 「そちらにいらっしゃるのはもしかして御嬢さんかな」 「静です。父がお世話になりました」 私は青木さんと母の朗らかな表情を目にして或る衝動が起きた。 「青木さん」 「はい?」 父はどのような人だったんですか。  ――なんというか、うーん。基本的にはすっごく厳しい人でしたとも、ええ。他人にも厳しいしそれに輪をかけたように自分にも厳しい。 だから下で働く私達もきびきびやらなきゃってねえ、里中さんが会社の潤滑剤みたいなもんだった。全然家族の話なんかしないくせに、飲み屋のあととか、自分の家に連れて行きたがるんですよ。ああ、この人家族を守っていることに疑念がないと思った。 私もそのころは若くて色々と悩んだものだった。だけど里中さんを見てると自分に自信が持てたよ。自分の父というか男としての生き方に。  気が付くと母が静かに泣いていた。私も「ありがとうございます」と呟くように言った。 「……というわけでね、お母さんはお父さんの勤めていた会社に行ってたの、ね、母さん」 「でももう、いいの。明日からは通わないわ」  信治が口の中にご飯とおかずを詰め込んで喋る。 「じゃあまた土手にいって呆けるのか?」 「……」 「ごちそうさん。ねえちゃん、冷蔵庫のプリン食べるなよ」 「っていうかあとで話あるわ。部屋来て」  私は母の隣に父がいるような気がした。いつも煙草を吸いながら黙ってそこにいただけの父。だけどそこにいただけなのに私達は毎日を平凡に過ごせていた気がする。平凡は尊い。今それを痛感している。父はただ黙ってそこに居て飯が住んだら家を出て、私達を守った。私達の平凡を守ったのである。母にはそれが重荷すぎる。母は父の世話をし、言うことを聞いて、行動するのに精いっぱいだった。それが主婦というものなのか。とにかくこの家には父がいない。働いている私はともかく、母も信治も守ってくれる何かを探している。それが母にとっては男装なのかもしれぬ。信治にとっては居心地の良いこの家なのかもしれぬ。 ……男装に用いる衣服は父のもので、この家は父が苦労をして建てたものだ。  私達はどうしたら強くなれるのだろうか、何に頼り何から頼られその者のために何をすべきだったのか。  私は洗い物を済ませたあと信治の部屋に入った。煙草臭く怠惰と無気力を体現したような散らかった部屋。 「掃除しなさいよ」 「うっせ。で、さっそくなんだけど、こんなもんを見つけたんだ」 信治は日焼けした長方形の箱を取り出した。箱には飛行機の絵が描かれている。模型の箱である。 「信治、お前模型なんかの趣味があったっけ」 「ないよ。これは多分父さんのだ。この部屋はお父さんの部屋を改造して修築したものだと知ってるだろ。押入れの奥には父さんのレコードとかがいっぱいある」 「うん。で、これをどうしようって言うの?」 「お母さんに見せると何か元気が出るんじゃないかな」 「別にお母さんは元気がないわけでもなければ、何かしら病んでるわけじゃないって何回も口論したでしょ?」 「そうかなあ。まあいい、茶の間に行こう」 「それにこれは模型じゃなくてラジコンだな。プロポもついてるし飛ぶぜこれ」 背中を私に向けたまま、その大きいくせにどこか頼りない、力がない後ろ姿で信治が言う。 「……お姉ちゃん。早くこんな家、出て行けよ。どうせいい人がいるんだろう。このままこの家にいて俺とお母さんのために飯食わせるために働くなよ」 「うるせーよ」と、男言葉で私は返事をする。それは信治のそれよりもよっぽど芯があるように思える。だけどそんなことを言われると、背中の折れかかった羽は少し修繕されたような気になった。  茶の間でテレビで見ている母にそれを見せた。彼女はまるで目の色が変わる。そして、「飛ばしに行きましょう」と突拍子もないことを言ったのである。  夜の土手は昼と違って寂しさしか与えないのだ。川は淀み、そこに浮かぶ月は抒情的だが、いつも歪んでいて言いようのない不安を醸す。温い風が、数か月後には身を刺すようなものになると考えると季節の変化を憂う。私は夜に河川敷のほうまで降りるのは初めてかもしれなかった。 「ノブちゃん、家の外に出れるのね」 「夜だしな。お母さん。んー、お母さん?」 暗がりの中で、母の男装とは関係なく昔からの優しい顔を信治は認識した。信治の背筋が自然と伸びる。私は彼が背広を着て社会に出ているときの精悍さをふと思い出してどきりとした。 「お母さん、お父さんには趣味があったんだね。私は、あんな仕事一筋人間は趣味なんかないと思ってた」 「そんなことありませんよ。お父さんは静たちが生まれる前はラジコンが好きだった。でもなかなか金がかかるの、子供ができてからは全くやらなくなったわ」 「そうね」 そして母はゆっくりと星空を眺めて喋り始めた。  静は夜泣きが治らない困った子だった。夏の夜なんて、一晩中この土手道を行ったり来たりしてあやしたこともあったわ。あのお父さんがね。私は初めての子育てでちょっと参っていたの。そしたら静を布団から奪うように連れ出してちゃんちゃんこで背負ってったの。  信治はもう本当に…… 度を超えてなんでも口に入れるからいつでも見張っていけなくちゃいけなくて大変。いちど電池を飲み込んだときは気絶するくらいびっくりしたわ。でもね、そんなときもちょうど仕事から帰ってきたお父さんが信治連れて病院にすっ飛んでった。  お父さんはあなたたちのために働いたわ。  静は私立の美術大学に行きたいなんて言うから、そりゃもう普通の大学の三倍は金がかかるんだろうって最初は猛反対してたわよね。でもお父さんはあなたを認めたよね。あのときほどお酒をあからさまに減らしたときはなかったわよね、意地みたいなものかしら。  信治だって大学に行きたいって言って。しかも一年目は失敗したから予備校に通わせたね。お父さんとお母さんはあなたが鼻水と涙ぼろぼろ出してもう一年頑張らせてくださいって言ったとき、よし! と思ったのよ。なんだかんだで単純なのね。  お父さんはそうやって働いて働いて…… そして死んだわ。あの人は、幸せだったのかしら。  言葉に詰まった。溢れだしそうな感情。信治は顔をクッシャクシャにすることによってそれをなんとか抑えている。私は、どう抑えようがちろちろと流れてしまう水が安易に地に落ちないよう上を向いて空を仰いだ。星が綺麗な夜空だ。全てが救われそうで分かりそそうで赦されそうなそんな空だ。だけど私は何も救われないし分からないし何からも赦されないのだろう。駄目だ。足元に雫は落ちる。  信治が感情をぎりぎりに引っ込めたようで、元気に言う。 「ラジコン飛ばそうよ、お母さん、これで操作してみな!」 ラジコンの電池は信治が家を出る前に替えていた。側板に貼られていたステッカーにマーカペンで「NOBUHIKO」と記されてある。父の名前だ。お母さんはプロポをがちゃがちゃと操作してみる。しかし、ラジコンヘリは具体の悪そうな音を轟かせるのみで、動く気配はない。 「動かないや!」  私と信治はそれぞれの重たさを隠すような空笑いをした。土手中に響き渡った。母も優しく微笑んだ――。  春が来た。  私は土手を通る。今日は婚約者とこの道を通った。母はあれからまもなくして男装をやめた。信治はまた就職活動を始めた。  動かないラジコンは家に飾ってある。埃を拭きとったそれは何かを守るためにあるような勇壮な機体をしている。    (了)
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