純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号128 『stream~時~』 久しぶりに来た渋谷で感じたことは、人の多さと若さだった。自分も年を取ったということなのか――数年前までこの街で暮らし、この街で遊び、この街に自分の人生の一部を捧げてきた。スクランブル交差点の前のスターバックスで友達と待ち合わせをし、特に用がある訳でもないのに街をブラブラする。109やマルイに行けば、決まって上の階から順番に回るのが自分の中の日課だった。時折、声を掛けられて暇さえあれば相手をしていたキャッチも今では懐かしい。渋谷には独特の雰囲気がある。大学時代の帰国子女の友達が言っていた言葉をふと思い出した。「日本の中心は、東京にある。東京の中心は、渋谷にある。」一瞬、頭の中に疑問が浮かんだが、私は妙に納得してしまった。彼女の言葉を借りると、「東京」という街を象徴する一番の場所が、渋谷なんだという。その証拠に、外国の映画や漫画に登場する東京のシーンでは決まって渋谷のスクランブル交差点が描かれる。東京タワーや国会議事堂も日本を象徴する場所の一部かもしれないが、やはり渋谷駅前の混沌とした独特の空気には適わないだろう。年齢も職業も考え方も皆違う――それでいて街全体を流れる空気には妙な統一感を感じる、そんな街に数年間過ごしていたことを懐かしく思っては約束の時間に遅れそうなことに気付き、タクシーに乗ると運転手に行き先を告げた。 時計を見ると、16時40分。「また、やっちゃった。」と心の中で思うと、早速石田を探す。 「高原さん、こっちです。」 聞き覚えのある声に誘導されて、急いで彼のもとへ行く。 「ごめんなさい、待ちました?」 「いえ、僕も今来たところです。高原さんのことだから、時間ぴったりには来ないだろうなと思って、あらかじめ計算してきました。」 なんて失礼なことを言うクライアントなのだろうと思ったが、遅刻をしているのは当の本人であり、約束の時間に遅れるという誰が聞いても私が悪いこの状況に何も言えず、思わず苦笑いをしてしまう。 「この間のデザイン、好評でした。巧みな色使いとか、女性特有の繊細なシルエットとか、なんていうか高原さんらしさが十分に出てて、僕は個人的に大好きです。」 「ありがとうございます。」 「それで、早速本題に入りたいのですが、また新しくデザインを描いて頂けませんか。今度は、男性モノで。」 「男性モノ…ですか?」 「はい。この間のデザインでしたら、例えば色の配色や素材を変えてみるだけで、ずっと男性らしくなると思うんです。女性が持っていても勿論、男性が持っていてもおかしくないような、そんなデザインを今回高原さんに描いて頂きたくて。」 「男性モノをイメージすることはなかなか無いので、うまく描けるかわかりませんが・・・。」 「もちろん、無理にとは言いません。もともと、こうして一緒に仕事をするようになったのも僕が無理言ってっていうのもありますし。お忙しい高原さんにこうしてお願いをすること自体失礼なことだっていうのは十分承知です。でも、どうしても描いてもらいたくて・・・今すぐにとは言いませんので、少し考えていただけませんか。」 石田はいつもこうだ。28歳にしてデザイン会社の若き社長というのに、低姿勢。いや、石田のこの人を見下さない謙虚な態度こそが、社会が彼を認める一番の要因なのかもしれない。とはいえ、私もビジネスパーソンだ。出来そうもない仕事を安易に引き受けるほど、暇ではないのは事実だし、中途半端な結果に終わっても責任の取りようがない。「出来ないことを出来るようにすることが大事だ。」なんてセリフがいかにも小学校の教科書に載っていそうだが、それとこれとは話が別だ。現実はそんなに甘くない。出来ないものは出来ないと素直に認めることが時には大事だ、と私はこの仕事で学んだ。 「僕は高原さんの可能性を信じています。」 石田の熱い眼差しに負けたのか、それとも私の意志が弱いのか・・・次の瞬間には「はい」と首を縦に振る自分と、握手をしている自分がいた。「また、このパターンか・・・」心の中でそう思ったが、案外石田のこの作戦に乗るのも悪くないなと思った。どこまでが本心か分からないが、少なからず石田は私の才能を認めてくれている。だから、今回も私を選んでくれた。その事実が次の仕事の活力に繋がると信じているし、これからもそうありたいと思う。注文していたカフェラテがすっかり冷め切ってしまった頃に、私達は打ち合わせを終え、次の打ち合わせの日程を決めると「これから品川でまた展示会なんですよ。」という石田を見送った。 「ビーフシチューがいい?クリームシチューがいい?」 帰りに紀伊国屋で夕飯の材料を買って帰ろうと思い、彼にメールを入れると珍しく早い返信がきた。「ビーフシチューかな。今日は早く帰れそう。」久しぶりに二人揃って夕飯が食べられると思うと、一刻も早く家に帰って夕飯の支度をしようという幸福な焦燥感を感じた。たまには、彼の帰りを待ちながら夕飯を作るのも悪くないなと主婦染みたセリフを吐いてみる。足早に買い物を済ませると、家路へ急いだ。 ビーフシチューが出来上がって20分後、彼が帰ってきた。 「ただいま、外結構寒かったよ。今日、大丈夫だった?」 「なにが?」 「だって有、寒いの苦手でしょ。」 「うん、大丈夫。」 「仕事もちゃんと遅刻しなかった?」 「うん、ちゃんと行ってきたよ。」 私は彼のこういうところが好きだ。仕事に関しては正式には10分遅刻したのだが、だから昨日飲み過ぎだって言ったじゃんと言われるのが惜しくて、そこは黙っておいた。 「ねえ、それよりね。この間のデザイン好評だったから、今度は男性モノでやらせてもらえるようになったの。」 「すごいじゃん。頑張ってるもんね。有のデザインがどんどん世の中に広まっていくのを俺も側で見届けていられて嬉しいよ。」 「ありがとう。そう言ってくれると嬉しい。ねえ、ビーフシチューあったかいうちに食べよう。」 ビーフシチューを食べながらお祝いといってワインを2本空けると、いつの間にか二人して眠りに就いていた。途中で目が覚めた私は、リビングで寝てしまった彼が風邪を引かないようにと静かに布団を掛け、自分もまた眠りに就いた。 次の日、お互いの休みがやっと合ったということで高校の友達と食事をすることになった。「久しぶりに渋谷、行かない?」という彼女の誘いに昨日行ったから別の場所にしようと言うのもなんか変だなと思い、私達は松涛の隠れ家レストランでディナーをすることになった。 「愛美、結婚するんでしょ。石川くんから聞いたよ。」 「なんだ、有知ってたのか。今日はサプライズで報告するって決めてたのに。」 「ごめん、ごめん。でも、絶対愛美より私の方が先に結婚するって思ってたのに。なんか先越された気分。」 「あはは。私、意外に現実志向だからね。その為にCAになったし。宣言通りパイロットと結婚出来たし。」 「ってことは旦那さん、パイロット?」 「当たり前じゃん。」 私達は二人で笑い合った。学生時代から「ずっとパイロットと結婚する!」と公言していた彼女を知っていたからこそ、理想を現実に変えた彼女に素直に尊敬の念を抱いた。理由はどうあれ、目標に対してそれなりに行動に移して努力をしている人は凄いと思う。目標がどんなに小さいものであったとしても、だ。 「今度、写真見せてね。」 「いいよ。かなりのイケメンだから、有惚れないでね。」 「人の旦那に惚れるほど、男に困ってないから大丈夫。」 そう言ってまた二人で笑い合ったあと、シャンパンとワインを3本空けると日付は次の日になっていた。酔い覚ましに青山通りを歩く。 「二人でこうして歩いていると、なんか高校の頃戻ったみたいだね。」 愛美の何気なく言った一言が、なんだかとても嬉しかった。あの頃、今ある楽しさが永遠に続くと根拠のない自信に身を委ねては、若さという武器を最大に活用できたあの頃を急に愛しく感じた。数ヵ月後、愛美は結婚する。私も確信はないが、きっとあと2、3年したら彼と結婚するだろう。漠然とした予定ではあるが、きっと皆こうなのだろうと思う。自分の未来なんて、空想以外の何物でもない。愛美のように願望さえあっても、それを実行するかしないかはあくまで個人の自由だ。でも、どんな選択をしようとその人の人生はその人にしか決められないと思う。時には例外もあるが、行動には必ず理由がある。 家に着いた頃には、もう2時を回っていた。既に寝ている彼を起こさないようにとベッドに入ると、明日の打ち合わせの場所どこだったっけと手帳の文字を思い出す。 あと一週間で私は24歳になる。今年の誕生日はイタリアに行こうと彼と計画している。春になってあったかくなったら、今年こそはお花見に行こう。そうだ、それまでには和食が作れるようになりたいな。仕事がもう少し落ち着いたら、ダイビングの免許でも取りに行こう。時間は常に変化する。それと共に、街も人も変化する。変化がない世界はこの世に存在しない。今までそうであったように、これからもきっとその事実は変わらないだろう。その度に感情に振り回されては、また立ち直る。人生とはきっとそんなものだ。そんな事を思いながら、テーブルの上に置いてある昨日の飲みかけのワインを見つめては目を閉じた。
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