純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号124 『夜の中』  人はなぜ人を殺すのか、ということに対して、一度深く考えたことがある。2年ほど前だったろうか、何の気もなしにつけていたニュースでどこかの小さな国で起こっている紛争の映像を見たことがきっかけだったと思う。私たち人間は何かを思考して生きている。人が人を殺す時に持つ感情とはいったいどのようなものなのだろう?何を思考しているのか。それが戦争なら、自国のため、思想のためだろう。事件性の殺人なら、憎悪や嫉妬か。快楽、というのも1つの殺人動機として当然成り立つだろう。このようなことを、思いつくままに数時間考えていた。結局私はそこに何もみつけることができず、つけっぱなしになっていたテレビに当時好きだった俳優が映ったことで、それまでに殺人だとか死だとか戦争だとかについて思いを巡らせていたことなどふいと忘れてしまったのだった。そして今、私はそれと似たようなことをまた考えている。答えを出すためではないし、その行為に何か意味があるわけではない。きっと私は、私のために考えているのだ。 「トモの書く話は内容はいいんだけど何だか・・・どこかが生きてないんだよね」 アキの言葉が私のどこかに引っかかっていた。確かにそうかもしれないという思いと、それならば一体どこがその『生きてない』になるのだろうか、と。私は二人の共同スペースであるリビングで、かもめに餌をやりながらその食事の姿を眺めた。生きているものにとって食事は大切だ。肉食動物、草食に雑食。なぜ、肉を食うものと草を食うものにわかれているのだろうか。私は肉も野菜も好きだった。トモは服が臭くなるからと言って焼肉を嫌ったが、私は月に一度は焼肉を食べたくなるし、どこに行ってもサラダは必ず注文した。ドレッシングは必ずごま。食後に食べるシュークリームもとても好きだった。野性に生きる動物にとってこのシュークリームにあたる食べ物はまず存在しない。彼らは必要最低限のものしか食べないのだ。実に、可愛そうなことに。  かもめが餌に飽きて伸びをはじめた時、私のお腹がぐーと音を鳴らした。私はテレビの電源を入れ、ニュースの声を聞きながら読みかけだったサリンジャーの本を手に取った。時計は17時を過ぎた辺りを指していて、ニュースでは地方の話題をとりあげている。アキが帰ってくるまでまだしばらく時間がある。何かをしないといけないという不安を読書で紛らわす、とういうのが最近の私の悪い習慣だった。並んだ文字が生む1つの独立した世界の中にゆっくり、ゆっくりと私が沈もうとした時、アナウンサーの声が私たちの住むアパートのすぐ近くの住所を読み上げた。私は本の中の世界から無意識的に這い出てきて、テレビの画面を見つめる。画面の隅にでている『連続バラバラ殺人事件、新たな犠牲者か?』の文字に自然と溜息がでる。ここのところ続いて起きている連続殺人事件についてのニュースだ。新たに出た被害者で、もう4人の人が亡くなっている。犯人はまだ捕まらないのか。よく見慣れた通りがカメラによって映し出されると、どこか見知らぬ土地のように感じられた。私はもう一度時計に目をやり、アキを思った。  カリカリカリ  突然、どこからか聞こえる音に私は驚く。壁をひっかくような音。私はいそいでかもめの姿を探すが、かもめは私のすぐ横で丸くなっていた。カリカリ、ともう一度どこからか聞こえる。まただ、と私は思う。この間も1人でうちにいる時に、どこからか同じような音が聞こえ、部屋中を見てみたが原因がわからずに、きっとかもめがどこかを引っかいたのだろうと思おうとしていた。だけど今、かもめはすぐそばにいる。なのにどこからか音が聞こえた。私は音の出所を探そうと立ち上がる。耳を澄ますももう音は聞こえてこない。 「気のせいじゃないの?」とアキは笑った。 「それか、隣の人もこっそり猫を飼ってるのかもね」 「えー、けどうちのどこかから聞こえた気がしたんだけど」と私はもう一度見回してみる。  そんな怖いこと言わないでよ、と嫌そうな顔で笑いながら、アキは皿の上にとった鰤を箸で口に運んだ。アキは魚が好きだった。食べるのも見るのも。シェアをする時に何か魚を飼いたいとアキは言ったが、かもめが食べちゃったら可愛そうでしょと私が諦めさせたのだった。猫のかもめも肉食動物、と私は思う。 「けど、幽霊かもね」とアキが口の中のものを飲み込んでから言う。  私はアキが真剣な顔をつくっているのがわかり、芝居につきあう。 「だって、ここ広さのわりに安かったじゃない?誰か死んでるのかも」 「ねえ、アキ、後ろにいるのだれ?」と私はアキの斜め後ろを見ながらおびえた声を出す。二人の間に一瞬の沈黙が生まれ、目をあわせる。私たちは同時に笑い出し、食事に戻った。食べ終わった後、食器を流しに運んでいると、テレビの前に座ったアキが「今度は怖い話でも書いてみればいいじゃん」とテレビの画面から目を離さずに言った。 「変な音が部屋から聞こえるだけの話?」と私は呆れて言う。 「まだ何か起こるかもよ?」とアキは言ってこっちを向く。 「もういいよそれは」と近くのふきんをアキに投げた。  その三日後の夜だったと思う。私は相変わらず読書に逃げていたし、ニュースも変わらず連続殺人を取り扱っていた。風呂から出てきたアキが私の隣に座り、二人分のビールを机に置く。 「ほんと飽きないね」アキがビールをあけながら言う。 本を読み続けるということに対して飽きない、ということは決してなかったが、他にすることもないからなどと答えるわけにもいかず、私は適当に笑った。私はなぜ本を読むのだろうか。そんなことに意味や理由を求めるべきではないのだろうけど、私はそれを考える。大学4回生になってから、私の読書量は急激に増えた。それまでも読書は好きだったが、その量とは比較できないほどに私は沢山の本を読み漁った。定まらない未来への不安からか、増える決定から逃れるためかはわからないが、とにかくそれらから目を背けるためだったのだと思う。古書を買い集め、それまで行ったことのなかった近くの図書館にも通うようになった。そして本を読むことを習慣、として何よりすべきことと位置づけた。それによって、私はきちんとした時間を使っていると思い込むようにしたのだ。自分でもいくつか物語のようなものを書いてみたが、かといって小説家になりたいというわけでもなかった。そんな私にアキは何も言わなかった。だからこそ、アキとのルームシェアを決めることができた。何にもならないまま大学に残った私と違ってアキには夢があった。写真好きなアキはなにも疑うことなくカメラマンになることを選んだ。そのためにまだ大学に通うことにし、シェアをして少しでもお金を写真に使おうとしたのだ。私はアキのそんなところが素直に好きだったし、羨ましいと思った。危ういとも思った。 缶ビールを手に取り、そのふたを開ける。喉を通るビールはよく冷えていて、私の意識を覚醒させる。 カリカリカリカリ 音がする。私はアキを見る。アキは音の方向へと顔を向けていた。 「今の・・・」とアキが私に顔を向けながら言う。私は頷くことしかできない。私たちはゆっくりと立ち上がり、音がしたであろうほうへと歩く。廊下の先には洗面所があり、その奥にはアキと私の部屋がある。音はアキの部屋か私の部屋から聞こえた気がした。 「かもめじゃないね」とアキが言う。 「隣・・・でもないね」私は無理に笑った顔で言う。 「どっち、かな」アキは二つの部屋の扉を見る。 「わからない、けど、大丈夫だよね。そんな・・・ねえ」幽霊、というものを信じてはいなかった。だけど実際、誰もいないはずの場所から音がするというのはとても奇妙なもので、正直に怖かった。泥棒がいる、ということも考えた。部屋の鍵はかかっていたし、ここは四階だからその可能性は低かった。 「とにかく開けるね」と小さな声でアキは言った。私は一応キッチンからフライパンを持ってきてその柄を力いっぱい握って持った。アキがまず、アキの部屋の扉を開ける。ゆっくりと扉を数センチ開けただけでお香の香りが廊下に広がった。私はこの香りがあまり好きではなかった。だけどこの時ばかりは少しでも気が楽にならないものかとお香の力を頼った。扉を全部開けてからアキが部屋の明かりをつける。人影はない。泥棒が潜めそうなところはベッドの下か収納の中だった。私たちは部屋の入り口からベッドの下を覗き、人がいないことを確認してから部屋に入った。ゆっくりと周りを見回してみる。念のため、まだ収納には近づかない。アキも収納のほうを気にしている。 「収納、開けるね」とアキが耳元で言う。私はフライパンを身構える。スーッという音とともに開けられる襖。中にはアキの服や、段ボール、使わなくなったものがまとめられて置いてある。それだけだった。 「良かった」私はとりあえず安心してアキの傍に行く。 「トモの部屋も、見ないとね」とアキはまだ不安そうな顔をしている。当然、まだ私も不安だった。またアキが私の前に立ち、先に扉を開けてくれる。廊下の明かりに照らされた部屋に入り、私が明かりのスイッチを入れる。アキの部屋と同じように、ゆっくりと人が隠れられるようなところを見ていくが、狭い部屋の中に人が隠れられるような場所はあまりない。念のため、洗面所と風呂場、トイレも確認したが、誰も隠れてはいなかった。私たちはそのことに安心し、そしてその事実が余計に私たちの恐怖をあおった。うちの中には私たち二人以外、誰もいなかったのだ。一度、リビングに戻り、私たちはお互いにさっきの物音が聞き間違いではなかったか考えてみることにした。アキは、不安を消すようにビールを一息で飲み干した。しかし、いくら考えてみてもさっきの音がなんなのか、どこから聞こえたのかはわからなかった。 「今日は一緒に寝よう」私はアキに提案した。こんな時に1人で寝るのはなかなか勇気がいる。「当然、私もそう思ってた。1人でなんか寝たくない」アキはテレビの音量を上げた。 私たちはアキの部屋で一緒に寝ることにした。「お泊り会みたいで楽しいじゃない」とアキは笑って見せた。私も、暗い雰囲気でいるのは余計に嫌だったから「お酒持ってきて、飲みながら寝ちゃおう」と答え、さっきのことを忘れようとした。  恐怖からか、二人とも久しぶりに沢山酒を飲み、いろいろなことを話した。いつか写真家を目指す女の子の話を書いてとアキは言った。未来の定まらないおばかな友人は出てきてもいいかしら?と私は言った。人の人生に登場する私はどんな人間だろうかと少し考えてから、私は眠りについた。  目を覚ましたのはそれからどれだけ時間が経った後だろうか。まだ外は暗く、部屋の中も真っ暗だった。カーテンの隙間から漏れる月明かりを頼りに時計を見ようとしたとき、アキが部屋にいないことに気づく。こんな時によく1人でトイレに行けるな、などと考えていた時、もう二度と聞きたくなかった音が聞こえた。その音はゆっくりと、沢山、どうやら私の今いる部屋の収納の中から聞こえてきた。  カリ                   カリカリ     カリ                             カリ カリカリ         カリカリ                   カリ        カリ       カリ カリ  カリ  カリ  カリ  カリ  カリ  カリ カリ カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ  身動きが取れなかった。私は、ただその音が聞こえる方向を見つめて静かになるのを待った。現実とは思えない時間がどれだけ流れただろうか。アキはなぜいないのか、どこに行ってしまったのだろう。はやく帰ってきて。はやく静かになって。夢?なにこれ。嘘でしょ。かもめはどこ?助けて。やだ、こわい。うるさい。やめて。アキ。助けて。 自分の耳を塞いでいた手を離すと、部屋に響いていたはずの音が消えていた。アキはまだ戻ってこない。しかし私はその恐怖から、どうしても確かめずにはいられなかった。その音は、本当にその収納の中から聞こえていたのか。私は、襖を開けたらアキがいて、「どっきりでした」と脅かしてくるところを想像した。とても幸せで、嬉しくて泣いてしまうかもしれない。私はきっと、二日間は怒ったふりをして彼女を困らせてやるだろう。ゆっくりと襖に手をのばし、引いてみる。想像とは違う、冷たい空気が私を包む。暗い部屋では、収納の奥まではきちんと見ることができない。私は部屋の電気をつける。と、収納の奥でまた、小さく『カリカリ』と聞こえる。私は震える体をどうにか落ち着けようとする。「大丈夫、何もない」と。そして再び収納の前まで行き、中を覗く。音がした奥のほうを見ると、大きなビニール袋が数個、中に何かを入れた状態で置いてある。その横に、何か細長いもの。なんだろう?と思うのと同時に、それが何かわかった。腕だ。人間の腕。体から切り離された状態で、片方の腕だけが落ちてある。そのすぐ近くの壁に、爪で引っかいたような傷。私は声を出すこともできずにその場に座り込んだ。そんな、状況が、理解できる、はずがない。 「なにしてるの?」突然部屋に入ってくるアキに私は驚く。 「アキ・・・」精一杯、出せるだけの声で彼女を呼んだ。彼女の顔は、笑っている。 「あーあ」彼女は手に、包丁を持っている。 「それ、なんでだろうね」彼女は手に、包丁を持って笑っている。 「ちゃんとバラバラにしてあるのに、おかしいなあ」彼女は手に、包丁を持って、私に近づいてくる。 「アキ?」私は、状況を理解できない。 「けど、勝手に見ちゃうなんてズルいじゃない」また一歩、近づくアキ。 「プライバシーは守ろうって最初に決めたよね?」アキが包丁を握りなおす。なぜアキは包丁を持っているのだろうか。 「アキ?」私は、状況を理解できない。 「お仕置きだね」アキが私の目の前に立つ。 「アキ?」私は、状況を理解したくない。なぜ、人は人を殺すのか。それだけを考えていた。
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