純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号108
『贈り物』
一般の人の誰かが誤って罪を犯し、禁じられている主の戒めを一つでも破って責めを負い、犯した罪に気付いたときは……。――レビ記
贈り物
男は波の音で目が覚めたが、外は見ることができなかった。波の音は断末魔の叫びのようであった。ここは海辺の断崖絶壁に建てられた拘置所。刑務所とは違う死刑専門の建物で、三畳の部屋についた窓は明かり取りのもので、しかもしっかり鉄格子がはいっている。24時間監視カメラがついている。懲罰の労働はない。その代わり死刑執行は直前まで告げられない。執行一時間半前が一般的である。それまでわずかな運動と入浴をのぞき、ひたすら部屋で死を待つのだ。
「なんだ夢か」男はシャバの夢を見ていた。まだ男が罪に手を染めてないときの幸せな夢。
旨いラーメンを腹一杯食べていた。味噌にチャーシュー、ニンニクたっぷり。
しかし、いつもながら男は又あのことを思い出してしまう。革命に失敗した記憶。火炎瓶で火あぶりになって死ぬ警官の叫び声。彼にも家族はいただろうに。結局俺は人殺しで、なんの価値も作れなかった敗残者なんだなと、又自問自答が始まった。すると、急に光が部屋の中を満たした。男はまぶしくて手で目を覆っていたが、次第に目が慣れると部屋に誰かいるのがわかった。
「いよいよあと3日ですね」とそれが言った。女だった。なんでこんな所に女がいるんだろう?
疑問はすぐに確信に変わった。女の刑務官だ。来やがった。こんな時間に執行するなんて!
「いやだ。いやだ! 俺は死にたくない!」男は暴れたが、女がさわると動きが止まった。
「私は貴方に贈り物をしに来ました。私は天女です」
天女? 一瞬男は驚いた。でもその時初めて思った。自分は確実に死ぬらしい。天国に行けるわけもないが、せめて天女の計らいという訳か? 天界って奴も味なマネをするぜ。
「嫌らしい想像はおよしなさい。貴方への贈り物はこれです」
それは白い子猫の縫いぐるみだった。金色の瞳をしている。
なんだそんな物か。ふざけるな! と思ったが、いざ縫いぐるみが動きだし、愛らしい仕草でポーズを取ったとき男は思わずつぶやいた。
「か、可愛い」
縫いぐるみは前足で顔を挟み「にゅ」っと首をかしげていた。
「踊りましょう」
天女がそう言うとエルビス・プレスリーの「監獄ロック」が流れた。
ロックンロールのアップテンポに合わせて二人と一匹が監獄の小さな部屋で踊り狂う。
時空が違うのか刑務官が見逃してくれているのかこれだけ騒音が出ているのに誰一人飛んでこない。
そうして一晩踊り尽くすと、男は一息ついた。
「あー面白かった」
「私はもう帰ります。あとはその者と最後を迎えますよう」
「あ、天女様……」男がとどまらせようとするが、天女は来たときと同じようにいきなり消えた。
後には縫いぐるみが残された。
「やれやれ、お前が俺の最後か」男がぞんざいにそう言うと
「お前とはなんじゃい。上様と呼ばんかい」と縫いぐるみは野太い男の声で答えたがすぐにかわいらしい声に変わった。
「いけね。大丈夫だよ。死ぬのは全然恐くない」
男はあっけにとられていたが、ベットに座ると、「いや、恐いさ……」とつぶやいた。
「俺は確かに人殺しだが、やっぱり死ぬのjは恐い。このひりつく感じはお前にはわかんねえだろうな。うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」男は又半狂乱になって暴れ始めた。
「何をやっとるんじゃ。うつけが! これでも万の大軍を率いて、最後は炎の中で自刃した男じゃわい。
生きるか死ぬかは既に日常よ!」
縫いぐるみは又、野太い声で答えた。まるで天下の雷鳴のごとくであった。
男は思わず「ハハー」とひざまずいた。
縫いぐるみはまた元の可愛い声に戻って「ごめんね。僕、織田信長の生まれ変わりなんだ。前世で人を殺し過ぎたけど歴史に貢献したから今は死に行く人を励ます仕事をしているよ」
と言った。
「織田信長公でしたか。これは失礼しました」
「そんなにかしこまらなくていいよ。死刑執行の時は僕が突撃の号令を掛けてあげる。これで死ぬのなんかもう恐くないから」可愛い顔をして戦国武将のオーラを身にまとうようであった。
古来、名将の号令は兵士に死を忘れさせた。
彼に号令されるのならば死ぬのなど恐くなんかない。
「これで死刑も恐くないな」
「ああ大丈夫だよ。任せときなよ」
男は心の底から喜んだ。
死の恐怖からの解放! それを行くとき待ち望んだことだろう……。
だが、そのときから男は懊悩し始めた……。
二日後、
「あのさ、号令は……止めて欲しいんだ」
「なんだって、何故そんな真似を」
「繰り返すだけなんだ。もう一度生まれ変わって、同じ事を繰り返す。それじゃいやだ……俺は新しい価値を作りたい」
男は真剣だった。
「……わかったよ」縫いぐるみは代わりに「にゅ!」と愛くるしいポーズを取った。
死刑執行の日、一時間半前に三人の刑務官がが迎えに来た。
「暴れてるでしょうな」
「どうですか」
ところが男は静かだった。
「ご苦労様です」
男は前室まで静かに連行された。ただし小便を漏らしながら。
たくさんの刑務官が前室にひしめいていた。
拘置所長が死刑執行の文書を読み上げた。男は震えながらそれを聞いた。
教誨師〈神父)が待っていた。男に祈りを捧げた。
「断食の時は隠れて行いなさい……」
「遺書は?」刑務官が聞いた。
「もう用意してあります」
男は遺書を差し出した。
「何か最後に思い残すことはあるか?」
「いえ、特に。でも一曲歌っていいですか?」
「いいとも好きにやりな」
男は尾崎豊の「卒業」を歌った
『……仕組まれた自由に誰も気付かない。あがいた日々も終わる。この支配からの卒業。闘いからの卒業』
刑務官は不思議そうに言った。
「何故そんな甘ったれた歌を歌うんだ? まあ自由だが。お前にはもう残された時間はわずかなのに」
「いえね。死んだら生まれ変わるかと思ったんですよ。これは僕の持論ですが歌ってのは宗教的な物から派生したと思うんですよ。歌い手本人は意識していなくても、どこかにその残滓は残ってしまう。この支配って奴がね。いわゆる輪廻の支配じゃないかと。僕はそこから解脱したいんですが……。一人で考えすぎて頭がおかしくなったのですかな?」
「いや、そう思ったならいいさ。もうないか? することは」
「ええ」
刑務官達は拍手した。それはぱちぱちと乾いて響いた。
男は目隠しされた。手錠も後ろ手に掛けられた。
前室の閉ざされていたカーテンが開き、純白の吊されたロープが現れた。
刑務官達は男の脚を縛り、首にロープを掛けた。
縫いぐるみが最後にしてくれた愛らしいポーズを思い出して男はふっと笑った。
「号令、受けておけば良かったかな」男は頭を振ると、突撃、突撃とつぶやいた。
それが来た。床がいきなりなくなって男は吊された。「ぐうへ」男はしばらくもがいた。そして動かなくなった。
検察官が死亡を確認した。
了