『遅れて届いた暑中見舞い』 入江駿一著  ナミさん、それがナミ子なのかナミ江なのか僕は本当に今も知らない。ただ記憶の中に蘇る最初のページからずっとナミさんという名前のままで埋められている。    兄も姉も、もちろん父も母も、ナミさんのことをナミと呼び捨てにした。僕と、父の後妻に入った静江さんの連れて来た小さなユキの二人だけがナミさんと呼んだ。  年端の行かないユキがナミさんと呼び始めたのは、家に来てすぐの頃に静江さんがナミさんと呼んでいたからだ。静江さんはすぐにそのことを父に咎められたらしく、しばらくして他の皆と同じようにナミと呼ぶようになった。    夏になると、僕は敷地の隅にある白壁の土蔵の前に立てられた離れに移るのが恒例になっていた。  孟宗竹の林に囲まれていて、障子を開けるとひんやりした緑の風が縦横に吹き抜ける。  どうして父と母がそんな天国のような場所を使うことを僕だけに許してくれたのか分からないが、とにかく夏の間は、兄も姉も母屋に残されたまま、僕だけがあの別天地を占有することができた。    梅雨が明け、僕が離れに移ると、ナミさんはそそくさと自分の部屋を片付け、自分も離れに移る支度をはじめる。  母屋であてがわれている小さな自分の部屋から、離れの炊事場の隣にあるもっと小さい部屋で寝起きするようになる。僕の面倒を見るためだ。決していやな顔はしていない。むしろ楽しくて仕方ない様子が伺えた。  僕がナミさんの荷物を少しでも運ぶのを手伝おうとすると、ナミさんは、旦那様に叱られるからといって、必死に僕の手を止めようとする。  毎年のことなので僕は笑ってナミさんの手を振り解く。そして最後はいつもきまってナミさんが長いこと深々と頭を下げ、すみません、すみません、と何度も繰り返しながら綿の手拭いで目頭を押さえる。  それは僕たち二人の夏入りの恒例行事になった。    僕が小学校に上がって間もない頃、どうしてわざわざこんな三畳ほどの狭い離れの隅部屋に移って来るのか尋ねたことがあった。  狭いとは言え母屋にある自分の部屋の方が幾分なりとも広いし、使い慣れた身の回りの道具だって揃っている。  僕の世話なんて多寡が知れている。離れに住まなくたって不便などないはずだ。それよりも昼の間、いつも通りに母屋で炊事や洗濯の仕事をするには、どう考えてもあちらに居たほうが随分と都合がいいに決まっている。  その質問に、ナミさんはちょっと困った様子を浮かべながら、   「狭いとか不便だとか、そんなことなんて全然気になんかなりゃしません、それよりもなんか気持ちがいいんです、ここ」とだけ答えた。    僕が離れを気に入っていた理由は風通しだけではない。  夏の毎夕、時刻を約束したかのようにやってくる夕立は、背筋が寒くなるほど大きなバリバリバリという雷鳴を伴う。初めて経験する人ならば腰を抜かしても不思議はないくらいだ。雨粒だって尋常ではなかった。柔なトタン板など突き破るのではないかと思わせるほどに強く叩きつける。  だからその時刻になるとナミさんは他の仕事を放っておいても離れに飛んで来て、僕のために麻の蚊帳を吊ってくれる。 「さぁ、これでいつでも来いですよ」 そういって僕の顔を見ながら嬉しそうに笑う。  ナミさんは僕がすこぶる雷に弱いことを知っていた。幼稚園に入る前、たった一度だけだったが、雷が鳴り始めると怖くなって、堪らずナミさんの股の間に頭をもぐりこませたことがあった。そのことが頭から離れないらしい。その時からそれがナミさんと僕だけの秘密になった。    蚊帳の中に入ると何故かいつも心が落ち着いた。外でどんなに鋭い稲妻が光っても、雷がすぐ近くに落ちたのではないかと思わせるほど激しい轟音が響いても、ナミさんの吊ってくれた蚊帳の中は別世界だ。    そんな夕立が去ったあと、ほっと一息つき、風呂に入って上がる頃、一通り仕事を済ませたナミさんは氷の入った冷たい麦茶を用意してくれている。  そこから眠りに付くまでの暫くの時間、ナミさんはナミさんの故郷の話や子供の頃の話を尽きないほどしてくれた。  夏には田圃の蛙がうるさくて眠れないほどだった話や、秋には有刺鉄線の棘のひとつひとつに赤トンボがびっしり止まって、それを一匹ずつ指で捕まえていく光景や、暗くなり始めた空を舞うコウモリの群れに向かって石を投げると、その石につられてコウモリが急降下してくる姿など、見てもいないのに僕の目に様々な風景が焼きついている。    離れは三方を縁側で囲まれていた。  僕はその板張りの縁側に座ってナミさんが四つに切ってくれたスイカに齧り付くのが好きだった。  真っ黒な種を口いっぱいに溜め込んで、あとで庭先に一気にぷっと吹き出すのが面白い。どこまで飛ばせるかやって見せると、ナミさんは必死に口を手で押さえ、楽しそうに目だけで笑う。  父や母に見つかったら酷く怒られるに決まっているからだ。でもナミさんはやめろとは言わなかった。後で知らぬ間にナミさんが片づけておいてくれる。  縁先はもとのように掃き清められ、スイカの種ひとつない箒目のきれいに整えられた庭に戻っているのだ。    ナミさんは、僕が全寮制の高校に入学した年の梅雨明けの頃に突然家を出て行った。  僕はそのことを夏休みで家に戻ってくるまで知らされなかった。泣いた。生まれて初めて、悲しくて寂しくて泣いた。何も知らせてくれなかった父、兄姉は勿論として、何よりも、僕に声もかけずに黙ったままいなくなってしまったナミさんに悔しくて腹が立った。    案の定、皆にナミさんが出て行った理由を問い詰めても、満足な答えは誰からも得られなかった。ただ、一緒に泣きじゃくるユキに責められて、静江さんだけは心から済まなそうな顔をしていた。  その夏を最後に、僕が土蔵前の離れを使うことはなくなった。というより、長い休みの時も帰省することをしなくなったからだ。    数年後、九月に入って間もない頃、僕のところにナミさんから暑中見舞いの手紙が届いた。  ひと月遅れの消印が付いていた。正確に云えば、時間をかけて実家を経由して、一度封の切られたナミさんの暑中見舞いが、一ヵ月以上経ってから僕のところに転送されて来たというのが正しい。  内容は、自分は元気に暮らしていること、夏になると僕と一緒に過ごした離れの部屋での時間を懐かしく想い出すこと、そして僕が大きくなって立派になることを陰ながらいつも祈っているということ、だった。どれをとっても普通の時節の挨拶文にほんの少しだけ気持ちの薄化粧を施した言葉が並べられただけで、それは二枚の便箋にしたためられていた。  他人が見たらなんてこともない暑中見舞いの手紙かもしれないが、僕にはそれが光り輝いて見えた。  僕の住所も知らず、家に宛てれば果たして僕の手元に届くかどうかも危うい。それでも勇気を出して投函してくれたナミさんの気持ちが嬉しかった。  当たり障りのない言葉だからこそ僕のところに届くことを知っている。何年か振りにナミさんの温かさに触れた気がした。    僕宛の手紙なのになぜ封を切る。  家に帰ったときに僕は父に抗議した。 「緊急だと困るから開けてみた」「子供宛に無心でもされたらたまらんからな」それが父の答えだった。  僕はそれ以上、何も聞く気になれなかった。    封筒の宛名は確かに見覚えのあるナミさんの文字だったが、便箋にも封筒にもナミさんの住所は書かれていなかった。  ナミさんの故郷の鹿児島の消印だけが薄っすらと残っていたが、差出人の箇所には名前をナミとだけしか書いていない。  僕に届くように、わざと住所を書かなかったのだと思った。  もしも住所を書けばこの手紙が僕の手元に届くことはなかっただろう。ナミさんはきっとそれを悟っていたに違いない。ありうることだ。  何度も何度もナミさんの暑中見舞いを読み返すあいだ、僕は涙が止まらなかった。  実家と、いや、たぶん父とナミさんとの間で過去にどういうことがあったのか僕は何も知らない。でもそんなことは僕にとってどうでもいいことだった。僕はナミさんの僕に対する温かさが好きだった。ただそれだけなのだ。    ひょっとして、ナミさんは僕の母親ではなかったのだろうかと思うことがある。  しかし確かめようとは思わない。疑心を巡らせば様々な過去の記憶に浮かぶ出来事が憶測の線上に違和感なく並ぶことだろう。  子供ゆえに合点のいかなかったことも、今は符号することだってあるかもしれない。  でもそんなものはどうでもいい。僕の知りたいのは、なぜあんなに僕を好いて理解してくれていたはずのナミさんが、一言も僕に声を掛けずに出て行ってしまったのか、ただそれだけなのだ。    あの暑中見舞いから随分と長い年月が流れた。  僕から返信のないまま、今頃ナミさんは何処で暮らしているのだろう。  毎年九月の足音が聞こえ始めると、何ヶ月遅れてもいい、封が開けられようが、ボロボロに擦り切れようが構わない、僕の心は、ナミさんの暑中見舞いがまた届けられないかとひたすら待っている。  ポストに音がする度に、あの孟宗竹の林に囲まれた緑の風の吹き抜ける離れの部屋で過ごした夏を想い出している。                            <了> −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 純文学小説投稿サイト―jyunbunファイル: このファイルは、純文学小説投稿サイト―jyunbun(http://jyunbungaku.exout.net/)で作られました。 この文章の著作権は執筆者に帰属します。無断転載等を禁じます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−