純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号025 『瑕と骸』  暗く静かな彼女の部屋とは逆に、モニターの中はサイレンの音や怒号で騒がしい。  その女はブロックに載せたモニターの前に膝を抱えて座り込み、じっと暗い視線を向けていた。  ベリーショートの黒髪は艶を失っている。痛みも酷い。ここ最近は手入れなんぞしていないとその髪が告げている。  化粧らしい化粧もしていない。だが、女の若さは肌の張りや美しさに表れていた。両手首には、妙に奇麗な真っ白い包帯が巻かれている。  その姿は、まるで何かを思い詰めているように見える。いや、赦しを請うているのかもしれない。  抱え込んだ膝の側には暖かいミルクココア。食べ掛けのピザは冷め始めており、そのほとんどを残している。さっぱりとしたマルゲリータだが、それすら喉を通らないほどに、心に何かを抱え込んでいるようだ。 『……エスタン・エリア三番街のナカトミビルの前で人質をとっている容疑者ですが、既に周囲は武装した警察が取り囲ん……』  リポーターが緊迫した状況を中継している。女は一度両手で耳を塞いだ。  その姿は、幼稚園に満たない小さな幼女にすら見えた。  モニターに映し出された現場には、ナカトミビルの正面玄関前で、中年男性の首筋にナイフを押し当て、包囲している警察の盾にしている若い男がいた。  その眼には、強烈な狂気が見える。強い狂気はモニター越し、ここまで届いていた。  無差別連続殺人鬼キルは、これまで十四゜人の人間を殺害した。殺害されたのは老若男女関係なく、極端な例だと六歳の少年や、九十五歳の老婆などもあった。  警察がこの稀代の無差別連続殺人犯の捜査に手間取った最大の理由は、あまりにも狙う対象が無差別すぎたことと、犯行現場が数箇所の都市に跨っていた為だ。  そして殺人犯として、その手際の良さは賞賛に値する。もしも殺人犯に教科書があったとしたら、彼の行動論理は間違いなくそれに載るだろう。 『しかしキルの目的とは何でしょうか』 『さあ、殺人鬼の事情なんぞ考える必要はありません。どんな理由であれ、無差別連続殺人の理由にはなりませんからね』  アナウンサーとコメンテーターの遣り取りを聞き、女は唇を噛み締めて何度も頭を横に振った。  どうしてこんなことになってしまったのだろうか。それを考えたとしても、もう全ては手遅れだ。  だがだからといって、それで納得なんぞできようか。ここ数年、込み入った事情から塞ぎ込んでいた女にとって、確かにその事情はあまりにも重たい事実だった。 『殺された被害者にとっては、あまりにも不条理且つ理不尽な死です。キルの目的は不明ながらも、容疑者が無差別殺人鬼である以上、その死は無意味とすら思えます』 『だからこそ、容疑者は逮捕され償うべであるはずです』  コメンテーターの言う償いがどういうモノなのか、それは女にも容易に想像がついた。古今東西、無差別連続殺人鬼に下される刑罰なんぞ極刑以外ない。  女は冷えたピザを握り締めると、それをモニターに投げつけた。モニターの映し出されたアナウンサーの顔に、トマトソースが血のようにべっとりと張り付く。  本来ならば、ここでこうしているはずがなかった。ここに存在することも、この時間にすら存在していない。  自分はもう、存在していないはずなのだ。  だが、見届けなければならなかった。  自分が切っ掛けとなり始まった一連の騒動。真実を知るただ一人の人間として。 『いやっ、いやっ、いやぁあぁぁぁぁあぁぁっ』 『や、めて、さわらないで……っ、おね、がい……』 『ひぃっ、ひいっ、ああああああっ』 『おにい、ちゃん……助けて……』 『……あなたは、誰』 『お薬はこんなにいりません、私』 『……あのおとこのひとをころして』 『せんせい、わたしもう、ずっとねむっていたいんです……』 『……さわらないで』 『……あいつを殺して』 『どうしてお父さんは会いに来てくれないの?』 『どうしてお母さんは本しかくれないの?』 『……あいつを殺したい』 『お兄ちゃんなんか嫌い。もう来ないで』 『毎日こんなに飲んでるんだもん。私の身体、もうボロボロよね』 『お願い、もう好きにさせてよ』 『生きている意味なんてないっ』 『……何を言ってるの、お兄ちゃん』 『そ、そんなのっ……』 『お兄ちゃんっ』  モニターの中でキルは、人質の男の首筋にジャックナイフを押し当てていた。  キルが何を考えてこうしているのか、その眼には何一つ感情が見えない。いやむしろ、様々な感情に押し潰されているようにも見える。  キルがもしもそれを誰も語らなかったとしたら、それはきっと闇の中に消えてしまう。真実とは常に見える都合のいいモノではない。むしろ語られることのない真理だからこそ、どの事実よりも重い。  女には結末を見届ける責任があった。目を背け続けた過去から逃げていたのでは、結果何も変わらない。血塗れのそれを見詰め、その上で受け入れなければならない。  キルがどうして、無差別連続殺人を起こしたのか。過去は消せない。過去に起こったそれすらも、今の自分を構成する要素なのだ。  何事かを小さく呟いて、女はその目に浮かんだ涙を拭った。  モニターの中で、人質とキルの顔がアップで映された。  キルはニタニタと哂いながら、ナイフを浅く刺した。うろたえた男は、悲鳴を上げて首を横に振った。  女はただそれを見詰め、唇を噛み締める。なんて都合のいい男なのだろうか。自分にあんなに苦痛を与えておきながら、あの男はきっと命乞いをしているのだ。  あの出来事から女は、何度も何度も自分を壊し続けてきた。その行為はまだ終わらせることができない。  数年という月日、自分を壊し続けてきた。  その長い時間、男はのうのうと平和に生きてきたのだ。自分に対する仕打ちなど全て忘れて。  男の耳元で、キルが何かを呟いた。それ聞いた瞬間、男の眼が大きく見開かれた。唇がわなわなと小さく震え始め、まるで諦めたかのように、両腕がゆっくりと下がった。  キルの眼には強烈な殺意が宿っていた。その殺意はまるで、この世の全てを憎んでいるかのようだ。  何の躊躇いもなく、キルは男の首筋を切り裂き次いで心臓を一突きにした。  手を離すと、男はゆっくりとした動作で膝を付き、そのまま前のめりに倒れこんだ。その姿勢はまるで、テレビカメラに土下座をし赦しを請うているように見える。  次の瞬間、警察が発砲した無数の銃弾が、キルの身体をまるでボロ布のように貫いた。  銃弾を受けながらもキルは、テレビカメラに視線を向けて一瞬、小さく微笑んでみせた。  あまりに刺激の強過ぎる映像の為か、中継は唐突に切れ、モニターにスタジオが映され、アナウンサーとコメンテーターが厚顔無恥な戯言を吐き始める。  女はモニターの電源を落とし、ゆっくり立ち上がるとカーテンを開けた。外は嫌になるほど輝きに満ち、むせ返るほどの陽気に陽炎が揺らいでいる。  両手首の包帯を外し、そこに奔る瑕痕を指先で撫ぜると深い溜息を吐いた。  もう、振り向かない。  いや違う。もう振り向けない。 「……馬鹿兄貴」  空を見上げるその綺麗な瞳から、涙が頬を伝った。
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