純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号024 『金髪とひきこもり』 「ほれ、バイト代」  兄貴は僕に、わざわざ封筒に入れた金を渡した。  僕の面倒を見てくれていた両親が事故で死んで一ヶ月が経ち、 もうどうすることもできなくなった僕のところにふらりと現れ て、唐突に「お前、仕事手伝え」と言った。  小中高と私立の名門に通っていた僕と違って、兄貴は市内の 中学校でも有名な不良で、中学を卒業してすぐ家を飛び出した。 それからずっと連絡のひとつも寄こさず、葬式にすら顔を出さ なかったのに。  だけどそんな兄貴のことを言えた義理じゃない。国立大の受 験に失敗した僕は、十年以上部屋に引き篭もってしまったから だ。  部屋に篭ってただネットやゲームを繰り返すだけの日々。自 分の存在意義や存在価値を考え続けていた。  両親が事故で死んでしまうと、面倒を見てくれる人がいなく なった。部屋の外に出ることすらなかったのに、外に食べ物を 買いに行くことなんかできない。宅配で凌いだがとうとう財布 も冷蔵庫の中も空になって、もうどうすることもできなくなっ た。そして今日の昼、「もう死ぬしかない」と思い桟に炬燵の コードを掛けていたその時、兄貴が尋ねてきた。  軽く十年ぶりに姿を見せた兄貴は相変わらずの金髪で、僕は 思わず眉を顰めてしまった。でも何と言うか、とても自信に満 ち溢れていた。  嫌がる僕を無理矢理引っ張り出した兄貴は、僕を軽トラック の助手席に放り込んで、一時間ほど走らせた。運転席の兄貴は、 禁煙パイポを口に咥えながら鼻歌を囀っていた。  僕の視線に気付くと、「禁煙しろって嫁さんが五月蝿くって よ」と笑った。  辿り着いたのは郊外の小さな居酒屋だった。くたびれた感じ のする小汚い外観で、少なくとも清潔だとは思えない。 「ここ、俺の店なんだよ」と、僕を見てまた兄貴が笑った。  店に入ると兄貴は僕に、「テーブルを綺麗に拭け」と告げて 布巾を手渡した。  店が開店する夕方までに、テーブルも床もトイレも何もかも、 店中を隅々まで掃除をした。でも掃除をしていて気付く。小汚 いのに埃なんか欠片もなく綺麗だということに。それが終わっ たと思ったら焼き鳥や刺身や煮物の仕込だとか、とにかくバタ バタと店の準備を手伝わされた。これまでろくに動いてなかっ たから身体が悲鳴を上げていた。でも、汗を掻いて働いている と、嫌なことを何も考えずにすんだ。  開店の一時間ほど前に、女性が姿を見せた。茶髪で化粧が濃 い女性で、僕に向かって「嫁です」と笑った。茶髪で化粧は濃 いけど、その笑顔は屈託がなくとても綺麗だった。  開店すると一時間ほどで、店はお客さんでいっぱいになった。 カウンターの中で料理をしながら、兄貴はお客さんとゲラゲラ と笑いながら話をしていた。お嫁さんは飲み物や出来上がった 料理をお客さんに運んだりしながら、やっぱりお客さんと楽し げに話している。  僕も兄貴やお嫁さんに指示されたことを手伝っていた。不意 に酔ったおじさんに、「新しいバイトかい、あんた」と尋ねら れた。もう何年も人と話していなかった僕は、思わず言葉に詰 まる。すると兄貴が「そいつ、俺の弟なんすよ」と助けてくれ た。 「そうなんだ、兄ちゃん孝行だなあ、あんた」とおじさんは僕 の背中をばんばんと叩いてくれた。  閉店の深夜二時まで、とにかく忙しかった。閉店しても片付 けや何やとやっていると、あっという間に午前四時になった。  やっと片付いたと溜息を吐いてカウンターの席に座っている と、お嫁さんがジョッキビールを手渡してくれた。 「お疲れ様、頑張ったね」  照れ笑いを浮かべてしまった僕を横目で見て嬉しそうに笑う 兄貴を見ていて、僕は不意に気付いた。きっと兄貴は僕が引き 篭もっていたことをずっと前から知っていたのだ。  働いた後に飲んだビールは、とても美味しかった。  そして兄貴は僕に、封筒に入ったお金を手渡してくれた。そ の封筒には僕の名前が書いてあった。  家まで軽トラックで送ってくれている時に、兄貴は一言、 「明日も昼過ぎに迎えにいくからな」と言った。  僕は小さく頷くことができた。  家に帰ると疲れがどっと出て、すぐにでも寝たかったけれど、 汗塗れで気持ち悪かったので風呂を沸かして入った。  暖まっていると不意に胸が一杯になってしまい、そのまま泣 いた。引き篭もっていた日々には後悔しか残っていない。ずっ と繰り返してきた自問自答に答えは出なかった。その間、兄貴 はずっと自分の道を歩き続けて、自分の店を構えていた。  僕は両親の仏壇の前に座りバイト代の入った袋を供えると、 手を合わせた。重く沈み、それなのに救われたような想いは、 何も言葉にならなかった。  僕は明日も兄貴の店で頑張ってみようと思う。
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