純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号017 『すれちがい』 「どうしてこんなのを拾ってきたんだ」  支店長の笠山は、納得がいかんというように眉をしかめて机 の横に立っている延子をじろりとにらんだ。  延子は、なんと言っていいかわからないような顔をしてまご まごしていた。  どうも話が違うような気がした慎一は、椅子に坐ったまま組 んでいた脚を、ゆっくりほどいて言った。 「どうも、お邪魔だったようですから、失礼しますよ。それか ら、この方をあんまり責めないで。わたしが無理して頼んだん ですから」 「まあ、待ちたまえ」  慎一がもう、通路へ出てしまった後になって、笠山の呼び止 めるだみ声が聞こえた。  別にこのまま立ち去ってもいいようなものだったが、延子の 立場を考えて、彼は再び部屋に入った。  すると笠山は、窓際に立って両手を後ろに組み、しばらく何 も言わずに、ブラインドの隙間から外の景色をながめだした。  恰幅のいい、五十がらみの紳士だが、少し背中の曲がった後 ろ姿は、意外なほどさびしく見える。  ところで延子のほうは、さぞかし落ち込んでいるだろうと思 いきや、このとき、上役の目を盗むようにそっと慎一のほうへ 首をねじって、ベロを出した。 「じゃ、こうしよう」  慎一のほうへ背中を向けたままで、笠山は言った。 「ためしに一ヶ月ほど、きみにここではたらいてもらう。とい っても、外回り専門だがね。それで満足のいく結果が出せるよ うだったら、引き続き、ここにいてもらう」 「つまり、試用期間てわけですな」  慎一は延子のほうに、片手でVサインを示しながら、軽い調 子で言った。 「しかし一ヶ月というのは、ちょっと短すぎやしませんかね。 いや、こちらとしては大歓迎ですが、たった一ヶ月で、わたし という人間がわかっていただけるでしょうか」 「きみのことなら、もう、わかりすぎるほどわかってる」  笠山はやはり向こうを向いたままで言った。  慎一は、ため息ついでに、「ほう」と声を出した。 「しかし、お互い初対面ですぜ。もっとも、わたしのほうでも、 あなたのことはもう、すっかりわかったような気がしますがね」 「そうだろう、きみだって、そうだろう」  笠山は急に勢いづいて、くるりとこちらに向き直り、にこに こしながら言った。 「だからそうなんだよ。篠塚君がきみを拾って、ここへ連れて きた。つまり、それがきみという人間のすべてだ」 「へえ」  こいつ、頭がいかれてるんじゃないかと思ったが、慎一は黙 っていた。  黙っていさえすれば、たった一ヶ月で、正社員になれるのだ。  延子は机のわきに立って下を向いたまま、いつのまにか顔が 真っ赤になっている。 「しかしね」  笠山はポケットに両手を突っ込んで、慎一のほうへ歩いてき た。  慎一はこういうきざなポーズを見ると胸が悪くなるので、わ ざとよそのほうを向いていたが、笠山が延子のすぐ後ろを通る ときに、一瞬片手がポケットからちらっとのぞいたのだけは、 目の端でしっかり見ていた。  それで、思わずニヤリとしてしまった。  笠山は何か床に落としたように、そのあたりをきょろきょろ しながら近づいてきた。 「しかし、人間はわかるが、能力はわからん。使ってみないと な。もっとも、篠塚君をたぶらかすような男が、ただの無能人 間とは、わしだって思っとりゃせんよ。あくまでもこれは形式 だ。よほどのことがない限り、一ヶ月後にはきみは晴れて我が 社の社員になる。もちろん、臨時社員としてのスタートではあ るがね!」 「話がちがうんじゃないの?」  肩を並べてエレベーターに乗り込むと、慎一はドアが閉まる のを待って延子に聞いた。 「だって、臨時とは聞いていなかったぜ。最初から正社員にな れると思ったから、ついてきたのに」 「あなたって、ほんとに身勝手な人ね」  延子はいつのまにか、ひどくすねた顔をしていた。それでい て、エレベーターのなかにふたりしかいないことをいいことに、 慎一の胸に肩を寄せてきた。 「これでも、たいへんだったんだから。そう簡単に支店長に会 えるものじゃないのよ。しかも、無試験で」 「だったら、たいへんついでに、正社員にしてくれ。最初から 正社員だ。これだけは譲るつもりはないからね。でなきゃ、き みと結婚できないじゃないか!」 「あら、いつそんな話があったかしら」  そのときドアが開いて、中年男と中年女がさえない顔をして 仲良くぬっと現れた。  延子はそこで別れるつもりらしかったが、慎一はかまわず彼 女の手を引っぱった。 「まだ、聞きたいことがあるんだ。いや、ほんとはどうでもい いことなんだけど、ところで、おれは何をすりゃいいんだ?  この会社は、なにしてる会社なの?」 「あなたらしいわね」  延子はまわりの目を気にしながら、押さえつけたような微笑 を顔に浮かべた。 「おあいにく様、わたしだって知らないのよ。だって、あなた、 なんにもできないでしょ。資格もないし、大学も中退だし、五 年もひとりでごろごろ、なにしてたのか知らないけど、最初に それがわかってたら、わたしもあなたを支店長に紹介すること はなかったでしょうね」 「うそつき」 「なに言ってるのよ、あなたがわたしをだましたんじゃないの」 「ことわっとくけど、たぶらかしたのはきみだからな。ぼくじゃ ないよ。これまできみは、とっても謎めいて見えてたけど、あ の支店長を見て、やっとわかったよ、きみという人間がね。い や、女といったほうがいいかな」  じーんと熱くなるほっぺたに手をあてて、慎一はぶらりと外 に出た。
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