純文学小説投稿サイト jyunbun 投稿小説番号007 『七階ぞめき』  木製の大きな看板に荒々しい書体で「のもだく」と、これも 大きく墨書きしてあるのが、ずいぶん遠くからでも眼に入った。 昭和一桁の頃までは、どこもそのように表記していたような記 憶があるのだが、それは私の個人的な印象によるものなので、 やはり不確かなことだといわねばならない。右から左へと読ま せる種類の看板文字はずいぶん以前から廃れていたにもかかわ らず、私の住んでいた近辺でのみ残っていたのかもしれないし、 そもそも幼かった私の記憶違いということも充分にあり得るは なしだからだ。  私は過去を振り返ることが得意ではなかった。戦争という大 きな広い河を挟んで、現在から過去へと遡っていく作業そのも のが、すでに彼岸を覗き込むよりもむつかしい。それは、戦死 した国民学校の同級たちや、空襲に罹災して他界した知人の面 影を、記憶の中に探り当ててしまうのを無意識に怖れてしまう からかもしれない。  敗戦からたった七年が経過しだけで、今はもうほとんど見か けることがなくなっている、その「のもだく」を私は不思議な 気分で眺めたのだった。また同時に、その不思議な気分には、 猥雑な熱っぽさも交じり合っているのだった。  春の昼下がり、私は野茂という名の女を誘い出し、二人きり で新町辺を散策していた。目的はすなわち野茂を抱くこと。そ して、野茂を遊郭に売り払うこと。その二つだった。以前から 密かに計画していたとおり散策の途中で、話のついている遊郭 に連れ込み、そこで犯し嬲り、金を受け取って帰る。そのつも りであった。  そこで「のもだく」である。私にとってそれは、「野茂抱く」 と脳内で変換されるのは当然のことだ。自身の精神に巣食う女 への下劣な下心と金への汚らしい欲望が、内面から溢れ出すよ うにして外界に投影されたのではないかとさえ考えたほどだっ た。  そっと横目で盗み見てみる。と、野茂はいつものように呆け たように口唇をうっすらと開いている。視界には「のもだく」 の文字が入っているはずだが、これもどこを見ているのだか判 然とはしない。 「おい、おまえにはあれがみえるかね?」  私は決まり悪さに耐え切れずその看板を指差してみる。野茂 は野茂で妙な動作をしきりに繰り返しながら、それでも顔を赤 らめたのだった。私はその瞬間まで気づかなかったが、野茂は 今日、なんだか様子が普通だ。まともな女のようだ。恥じらい がちな目元は、正気を保っているように見えるし、いつもの妙 な動作は、演技ではないかと疑われるほどだ。 「あはは、わたし、どこにつれていかれるのかしら?」  野茂は、私の目を見つめて真剣な表情で尋ねるのだった。  今日、日米で講和条約が発効し、大日本帝国は日本国に極小 化しながならも、まぼろしの主権を回復したのだった。新町の 通りは、いつもと少しも変わるところがなかったけれど、赤線 が禁止されるという噂のせいで、そのための準備は着々と進ん でいることが空気から感じ取れた。 「講和条約締結まで、七年間か……」  私は無意識に声に出してしまう。 「なんですって?」  野茂が私を振り返る。今日野茂が着ている白いワンピースは、 私が買い与えたものだ。 「戦時中、鬼畜米英と叫んでいた国民のGHQへの武装蜂起は、 七年間たった一度も起こることはなかった。俺はかならず、竹 やりとは言わずとも、旧帝国軍から流れた武器をもって、襲撃 があると思っていたんだ」 「そんなことあるはずないですわ。戦争は終わったんですもの」  私はやはり今日の野茂は、おかしいと確かなものを掴んだ気 がした。おかしいというより、普通すぎるのだ。いつもは、こ んな話は野茂には通じない。胸の辺りを撫で上げたり、押し下 げたりするいつもの妙な動作を繰り返しながら、「ほやきズケ て頂戴な」などと呟いている野茂しか私は知らない。……  怒りと恐怖は、やみくもな従順をもたらす。例えば軍国主義 だった当時の国民は、一体どう振舞ったのか? 新しい民主主 義がはじまるということはどういうことだろうか? 野茂は、 私の暴力を受けるその瞬間、どのように振舞い、また遊郭の男 どもに監禁されて、どのように抵抗するのだろうか?   野茂の頭は少しおかしい。きっかけは罹災で家族を失ったこ とと、敗戦後に見た一枚の写真のためだった。そして、ヒロポ ンの薬物的影響で決定的なものとなった。  一枚の写真、それは、神であった天皇陛下がマッカーサーと 並んで写った写真だった。神は正装し直立不動で畏まり、マッ カーサーは襟の開いたシャツを着て、リラックスしきったポー ズで両掌を腰に当てている……。  私は下宿している先の朝鮮人のおかみさんから、それを聞い た。野茂はその写真が載った新聞紙を粉々に引き裂き飲み込ん だとのことだ。  ――それから様子がおかしい。キチガイになっちゃった。イ ンクで口を真っ黒にしてキチガイになった。  私には、野茂のその気持ちがなんとなくわかる気がした。あ の写真は日本人にとって、一つの断絶だった。過去の自分との 決定的な決別をあらわす事件だったのだ。  野茂は昭和十九年に罹災し家族を失い、遠い親戚にあたる朝 鮮人のおかみさんの夫である男(こちらは日本人だ)を頼って、 私の下宿するアパートにやってきた。おかみさんの夫であると ころの男は、全体得体の知れない人で、一月に一度だけ必ず姿 を見せたが、それ以外はどこで何をしているか皆目見当のつか ない男だった。  当時それは、決してありえないことだった。三十過ぎの壮漢 が戦争に行かずフラフラしていられることなど、考えられない ことだった。  私のように肺の悪いものらや不具のものらの下宿人同士の噂 では、かなりの金をそのために使っているのだ、というものも あったし、軍部と太いコネをもっているのだ、というものもあ ったが、それらはやはり噂の域を出なかった。本人に直接尋ね たものもあるにはあったが、「わたしは躰が悪いもので……」 とはぐらかされるのが落ちであった。  私自身は、国内の朝鮮人の動向を知るための仕事をしていた のではないか? そう勘繰っていたのだが、それも想像の域を でない。  天皇陛下の玉音放送のあった日の夕方、朝鮮人のおかみさん が嬉々として言っていたような事態には、この七年間陥らなか った。おかみさんは、日本人の半分が飢え死にするといってい たのだ。  その日、天皇陛下のお言葉はほとんど聞き取れず、下宿人の 私たちは口々にもしかしたら、と囁きあっていたのだが、夕刊 の記事に私たちの懸念が正しかったことを教えられた。  泣くもの、脱力するもの、わかっていたと嘯くものらのあい だにあって、おかみさんは自信に満ちた声でこういったのだっ た。  ――戦争に負けた国の人間は飢えるんじゃ。お前らハイセン コクの人間は飢えて半分になるんじゃ。お前らは死ぬるぞ。戦 争にも行かれんお前らみたいな躰の弱いもんは、飢えて死ぬる んじゃぞ。  敗戦後すぐに聞いたその言葉に、私は心底恐怖したのだった。 戦争に負けたという曖昧な事実より、飢えて死ぬるというその 言葉の持つ実在感は私の根本に居座ったわけだ。  おかみさんの知り合いの朝鮮人らが大勢集まったのは、敗戦 日の翌日からだった。それから十日間ものあいだ休むことなく アパートで酒盛りが続いた。朝鮮風の太鼓のリズムに混ざって 聞こえた嬌声。その中で最も繰り返され、声高に叫ばれた言葉 を私は忘れられない。「勝った!」という言葉だ。「キムイル スン将軍が勝った!」という言葉だった。  朝鮮人に限らず同胞たちすら飢餓の噂を恐れ、それを専らの 話題としていた。しかし飢え死にするものは実際には出ず、物 資不足は徐々に改善され、商いは益々盛んになった。そして看 板の文字は、左から右へと読ませるように定着しつつあるのだ。 それらが朝鮮戦争の軍需景気のためだということや、戦勝国で あるアメリカが食糧援助したことによるということは、強烈な 皮肉だと私には思われた。そのたびに、朝鮮人らの上げていた 「勝った!」という言葉が、私の頭にこだました。  続いて現在は、社会主義革命への激しい熱気が沸々と昂揚し ているという事実は更に興味深いことだ。私には看板の文字す ら、左から右へと圧力をかけているように思われてしかたがな かった。  新町は夕暮れ色に染まり始める。何日も茶をひいているらし い、うらぶれた女らが私たちを一時見つめ、すぐに興味をなく す。それぞれの口は「お」の形に開かれて、すぐに煙草でその 穴を埋める。少し冷えてきたようだ。野茂はそわそわと落ち着 きをなくしつつある。  水あめ屋が、鐘をかんかん鳴らしながら通り過ぎる。どこか らかこどもの泣き声が聞こえる。水あめをねだるのだ。ものは 溢れはじめ、そして、不足という概念もあらたに生まれ始めて いる。 「食事にしようか」  私は野茂に声をかける。 「ええ、そうね。あなたあれに気づいてらっしゃる? 天皇陛 下が私に帰れっておっしゃるの、あなたについて行っちゃ駄目 だ。危ないから駄目だっておっしゃるの」  私は、野茂の指差す看板を見上げた。  そこには「りすく」とあったのだった。  私らはともども笑った。そして、私ははじめて野茂の躰に触 れる。柔らかい女の掌だ。野茂も私の掌を強く握り返す。私は 「それじゃあ、帰ろうか」と声をかける。野茂は確信に満ちた 顔で何度も頷く。何度も何度も。 (初出・『新時代――私という戦争』 昭和二十七年七月号嘘)
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